プロテスタント最初の殉教者 市川栄之助

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき

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アップロード日
2021.11.27
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 12章24節
放送日
2021.11.27

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「世の光」の時間です。お変わりありませんか、岩井基雄です。この土曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでみましょう。
今日は、「プロテスタント最初の殉教者」と言われる、市川栄之助について学んでみましょう。
栄之助は天保2年、今の千葉県で生まれ、東京で貸本屋を開きました。明治2年、道に迷っていたグリーン宣教師をジェスチャーで案内したことからグリーンの日本語教師になります。当時はまだキリスト教禁令の高札は撤去されていませんでした。
グリーン宣教師が神戸に移住するとき、市川は同行を決意し、貸本屋を処分し夫婦で神戸に行きました。また明治4年に来日したギューリック宣教師にも日本語を教えたのです。宣教師たちの愛に触れた栄之助夫婦は、彼らから神の愛を感じ取り、贈られた聖書を熱心に読んでいたようです。
明治4年、宣教師たちが不在のとき、突然役人が栄之助の家に踏み込みました。禁制のキリスト教信仰を持っているとの嫌疑でした。彼らが読んでいた聖書が証拠とされ、2人は逮捕されたのです。洗礼も受けていなかった栄之助たちでしたが、聖書に書き込みがあったことから投獄されてしまいます。
グリーン宣教師らは抗議をし、釈放を求めましたが、栄之助は獄中で死を迎えてしまいました。グリーンの証言では、栄之助はキリスト者になるという決心を明らかにしていました。またキリスト教禁令の高札の意味を彼に教えたのも栄之助でした。グリーンは問題の深刻さを覚え、迫害の実情をアメリカに報告し、アメリカ政府から日本政府に信教の自由を守るようにとの抗議がなされました。
明治6年にキリスト教禁止令は解かれました。釈放された市川の妻まつを、グリーンは引き取って生涯世話をします。まつは、明治7年に洗礼を受け、明治42年、天に凱旋していくまで歩み続けたのです。
この市川夫妻の犠牲をとおしてキリスト教禁止令が解かれたと語る学者もいます。だとしたら、栄之助の犠牲をとおして信教の自由は開かれ、栄之助はキリストとともに、一粒の麦となったともいえるのでしょう。
聖書のことば「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」新約聖書ヨハネの福音書12章24節

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