神のみわざが現れる

出演者
黒木昭江(富田キリスト教会、金山キリスト教会 牧師)
コメント数
0
制作
PBA太平洋放送協会
タグ
  • 疲れているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2021.06.10
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 9章3節
放送日
2021.06.10
 「世の光」の時間です。今週は、名古屋にある金山キリスト教会と富田キリスト教会の牧師、黒木昭江がお届けしています。
 皆さんは、「これさえなければいいのになぁ」と思う、ご苦労をしておられることが何かありますか。
 聖書に、生まれた時から目の見えない男性が登場します。この人は、物乞いをして暮らしていました。苦労に苦労を重ねて生きていたのです。
 キリストの弟子たちは、キリストに尋ねました。「この人が盲目になったのは、この人が罪を犯したからですか。それとも両親ですか。」弟子たちの心ないことばに、キリストは答えます。
 「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」そして、男性の目を癒やされました。盲目の男性は見えるようになり、それだけでなく、このことがきっかけで、キリストを信じ、礼拝するようになりました。
 私たちは、生きる上でさまざまな苦労があります。でも、キリストについていくなら、苦しみとの向き合い方が変わっていきます。苦しみ自体は変わらなくても、苦しみの上に、神のみわざが現れるようになるのです。
 私は子どもの頃、勉強も運動もできず、忘れ物も多くて、先生に怒られてばかりいました。クラスメートも私をからかいました。子ども時代は、嫌な思い出しかないと思っていたのですが、信仰をもつことによって、過去のとらえ方が変わったのです。自分はダメな人間だと思っていたのが、そんな私をも愛して下さる神様がいるのだという感謝へと変わりました。
 さらに、教会で、自分の過去と同じような経験をもつ方々と出会い、一緒にその体験を、神様の視点で見直してみるという作業をするチャンスに恵まれました。私のネガティブな過去は、神様の素晴らしさを知るための体験となったのです。
 イエス・キリストはおっしゃいます。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」ヨハネの福音書9章3節

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