ルカの福音書-63 何歳からでも

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2021.05.20
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 3章
放送日
2021.05.20

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今日の箇所では、イエス・キリストに至るまでの系図が出てきます。そこにはイエス様が三十歳で、神様の言葉を直接語り始められたことが記されています。
 「そうか三十歳なのか。」読み飛ばすところではありますが、この時代のユダヤ人にとって三十歳は意味ある年齢でした。旧約聖書の民数記4章には、祭司は、三十歳から仕事を始め、五十歳で定年を迎えました。一人前の祭司として働くことが許されたのが三十歳からだったのです。
 また、旧約聖書の偉大な王、ダビデ王が王位についたのも三十歳でした。また預言者エゼキエルが、預言者の務めに召されてその働きを始めたのも三十歳でした。祭司や王、預言者の働きは、いずれも、自分がなりたいからなれる仕事ではありません。神様からの直接の召し、呼び出しがなければなれない仕事でした。そして、いずれも神様のために奉仕をし、人々のために仕える仕事でした。神様は、これらの勤めにあたる人々を立てて、神の霊を直接注ぎ、その務めを果たさせられたのです。三十歳という年齢は、そのことをユダヤ人たちに思い起こさせる年齢だったのです。
 なぜ三十歳であったのか、いくつかの理由があったのだろうと思います。しかし感覚的に私たちも今日、わかるように思います。それは、やはり三十歳という年齢のもたらすある人生の成熟です。一人前の仕事ができるようになる年齢であるということです。つまり、十代、二十代の危うさ、もろさというものを、私たちは人生経験から知っています。十代、二十代の時期には人生が揺れ動きます。感情が揺さぶられ、誘惑に弱く、怒りやすく、また崩れやすい時です。信仰から離れていくこともあるでしょう。信仰よりも優先したくなる恋愛や結婚、仕事に心揺れる時期です。
 しかし、三十歳を越える時、一定の人生の覚悟ができると言えるかもしれません。もちろんこれは決して三十歳になるまで神様の奉仕をしてはいけない、伝道者になってはいけないという意味ではありません。むしろこの時に、信仰の基礎を作り上げることが大切とされたのでしょう。
 このラジオをお聴きの若いリスナーの方も、いや年齢を重ねた方も、何歳になっても信仰を持つのに遅いことはありません。むしろ既に、年を重ねられたからこそわかることが多くあるでしょう。信仰の基礎が、皆さんに形作られることを心から願います。そして、この「世の光」の番組が、その皆さんの信仰の基礎にお役に立つことができたらと願っています。

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