ある牧師の思い出

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 人を許すことが出来ないとき

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アップロード日
2021.04.27
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 23章
放送日
2021.04.27

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 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしですか、関根弘興です。イエス・キリストが十字架上で最初に発した言葉は、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」という、とりなしの言葉でした。
 私はこのイエス・キリストの祈りの言葉を読む度に、ある牧師のことを思い出します。もう三十年も前のことですけれども、国立駿河療養所の中にある、神山教会の工藤清牧師と出会ったことでした。工藤牧師は、若くして両親を亡くし、それに加えて、十代の後半からハンセン病を病み、当時は隔離政策でしたので、隔離された療養生活が始まりました。
 ある時、施設に入っていた小学生が工藤さんにこう質問したそうです。「俺たちは、生きている意味があるの?ここで勉強したって何の意味もないじゃないか。」
 工藤さんは、その質問に何も答えることができなかったそうです。そして自暴自棄になり、何度も自殺未遂を重ねていったそうです。しかし、死にきれずにいた時に、聖書に出会いました。彼は、愛などということは、ただの絵空事だと考えていたそうです。自分がハンセン病を患った後、友だちも親戚も、手紙一通くれなかったそうです。愛など、この世界にあるはずがないと考えていたのです。
 しかし聖書を開いて、イエス・キリストの十字架の出来事を初めて読んだ時のことでした。「キリストは、何も悪いことをしていないのに十字架につけられた。それなのに、ローマ兵たちに『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのか、自分では分からないのです。』と語った。この人こそ、真実の愛の持ち主だ。救い主でなければ、こんな愛はもちえない。」そう思ったそうです。
 そして、聖書を読み進めていくうちに、イエス・キリストのあの十字架の言葉は、十字架の周りにいた人たちだけに語られたのではなく、自分自身にも語られているのだということがわかったというのです。こんな罪深い者のために、キリストが身代わりに十字架についてくださった。そして私の罪を赦し、この体が朽ちても、変わることのない永遠のいのちを与えて下さるお方がいる。そのことを知った工藤さんの人生は、180度変えられ、後に牧師となっていきました。
 皆さん、十字架はイエス様の赦しの祈りから始まります。そしてイエス様は、あなたに対しても「わたしはあなたの罪を背負ったのだ。赦しの道を開くために」と語っておられるのです。

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