イースターSP「生きるにも、死ぬにも」

出演者
板倉邦雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 死や命について考えているとき
  • イースター

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アップロード日
2021.04.08
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ピリピ人への手紙 1章21節
放送日
2021.04.08

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか、板倉邦雄です。今日は、キリストの復活の希望に生きる人の証言、証に耳を傾けたいのです。その人の名はパウロといいます。初めに、パウロの言葉を紹介しましょう。
 「私にとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。」ピリピ人への手紙1章21節
 今、伝道者パウロは、ローマの獄中にいました。これから、ローマ皇帝の名のもとで裁判を受けることになります。無罪で、釈放の身となるか、あるいは有罪となって死罪になるか、そのどちらかになるのです。そのどちらかになっても、「私が、生きるにも死ぬにも、私の身によって、キリストがほめたたえられることです。」と言いきっているのです。
 生か死かという板挟みの中で、伝道者パウロにとっては、生きることはキリストのためになり、ピリピ教会の人々のためになりました。しかし、もし死ぬことになったとしても、私にとっては益であり、死を通してキリストがほめたたえられるからだという確信だったのです。
 「私は、そのどちらを選んだら良いかわからない。私の願いを言えば、この世を去って、キリストとともにいることであり、実は、その方がはるかに望ましい。」とパウロは告白しているのです。私はこのコロナ渦の中で、このパウロの言葉に励ましと勇気を与えられて、神様を礼拝しています。
 キリストの、教会とは何か、なぜ神礼拝を献げるのか、そのようなことを考える中で、二つの確信が与えられました。一つは、キリストの教会とは、キリストの名よって集まるところです。その中に、キリストがいて下さるという約束です。もう一つは、この世では、私たちのいのちよりも大事なものがあるということでした。それは、主イエス・キリストを信じて従うことです。
 今年の一月から非常事態宣言の中、インターネット配信を見ながら、信徒の方々には神礼拝を守っていただきました。また教会においては、長老、執事と、四人と共に、神礼拝を献げさせていただきました。キリストの復活の希望をもつ私たちのささやかな証しです。
 ラジオの前のみなさまの上に、神の守りと祝福がありますように。神が御顔の光を向けて、みなさまを恵み、平安を与えてくださいますように。アーメン。

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