イースターSP「わたしはよみがえりである」

出演者
板倉邦雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 死や命について考えているとき
  • イースター

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アップロード日
2021.04.07
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 11章
[新約聖書] ヨハネの福音書 5章25節
放送日
2021.04.07

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか、板倉邦雄です。今日は「わたしはよみか?えりて?ある」という題でお話ししましょう。
 「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか。」
 この言葉は、イエス様がマルタという女性に言われた言葉です。マルタにはラザロという兄弟がいました。しかし、ラザロは重い病気になってしまいました。マルタはイエス様に遣いを送り、「主よあなたの愛しておられる者が、病気です。」と言わせました。しかし、ラザロは病気が急変し、死んでしまいました。
 二日後、イエス様は弟子たちに言われます。「わたしの友ラザロが眠っている。わたしは彼を起しに行く。」すると弟子たちは「主よ、眠っているのでしたら、助かるでしょう。」イエス様は、ラザロが死んだことを言われたのでした。そして、イエス様の一行がマルタの家に行くと、ラザロは死んで四日間、墓の中に置かれていました。
 マルタはイエス様に言いました。「主よ、もしあなたがここにいて下さったら、私の兄弟は死ななかったでしょう。」イエス様はマルタに言います。「あなたの兄弟はよみがえるであろう。」そして、墓の前に立ったイエス様は、墓石を取りのけるようにと言われました。それから、天の父なる神さまに祈った後、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と叫ばれると、死人のラザロは、手足を布でまかれ、顔も顔覆いで包まれたまま出てきたのです。
 冒頭で紹介した、イエス様の言葉を思い出してください。マルタは信じました。あなたはどうでしょうか。死は、キリストを信じる人にとっては眠りです。イエス・キリストの復活の出来事は、私たちにとって生きた屍のような人生からの復活の希望です。やがて来る、体の死の復活の希望でもあります。そして、永遠の霊魂の苦悩、第二の死からの復活の希望です。
 イエス様の言葉です。「まことに、まことに、あなたがたに言います。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。」ヨハネの福音書5章25節

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