ルカの福音書51-荒野での悔い改め
- 出演者
 - 大嶋重徳
 
- 制作
 - PBA 太平洋放送協会
 
- 再生時間
 - 5min
 
- タグ
 - 
                  
- 孤独や悲しみを覚えるとき
 
 
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- アップロード日
 - 2021.02.25
 
- カテゴリ
 - 人物・人生
 
- 聖書箇所
 - 
                  
                   
                    
                    
                    
                    
                    
                      [新約聖書] ルカの福音書 3章
 
- 放送日
 - 2021.02.25
 
           「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。
荒野で叫ぶ者の声と呼ばれるヨハネという人が出てきます。彼は荒野に住んでおり、人々に、神に立ち返るようにと悔い改めのメッセージを伝えた人でした。彼の語る言葉は、「すべての谷は埋められ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい道は平らになる。こうして、すべての者が神の救いを見る。」でした。
「谷が埋められ」というのは、自分などだめだという卑屈な心を埋められることです。さらに、「山や丘を低くされ」というのは、高ぶった心が低くされることです。私たちの人生の荒野もまたそうです。自分などだめだと落ち込み、もっとだめな人を見つけて、あの人よりはましだと高慢になる。その道は歪んで、でこぼこしています。
しかしその荒野で、ヨハネは神の救いを経験しました。そしてイスラエルの仲間たちに向かって、神の救いを見て欲しいと切に願ったのです。ヨハネも高慢の山と丘が低くされ、コンプレックスの谷が埋められていった。だからこそヨハネは、自分自身も主に取り扱われたこの荒野という場所で、たましいの荒野をさまようイスラエルの仲間たちと、この救いを共にしたいという気持ちがあったのではないかと思います。
ヨハネのように今日、神の言葉が私たちに迫ってきます。この神の言葉を語る牧師という仕事に求められるのは、自分自身が悔い改めるということです。説教をしながら、その説教は自分に向かって突き刺さります。あなたはこれを語れるほど、神の言葉に生きているのかと問いかけられるのです。説教者は、自分の荒野と向き合わざるを得ません。
私たちは、自分の大切な人に伝えようとする言葉は、あなたの人生の荒野から語られているでしょうか。あなたの人生の高いところから語られた言葉は、決して人に響きません。神殿のような場所から立派に生きていきなさいと語られても、その思いは伝わらないでしょう。あんな人のように立派な人にはなれないと思われるのがオチです。
しかし荒野から私たちは悔い改めを語るのです。まさにイエス様は、神が人となられて、高きところから低きところへと場所を移され、人間の悲しみ、貧しさ、苦しみのただ中を通られた神です。その神が私たちに語られるのです。「悔い改めなさい」と。「わたしのもとへ戻ってきなさい。」この神のもとへ戻っていこうではありませんか。
        
        
        
      荒野で叫ぶ者の声と呼ばれるヨハネという人が出てきます。彼は荒野に住んでおり、人々に、神に立ち返るようにと悔い改めのメッセージを伝えた人でした。彼の語る言葉は、「すべての谷は埋められ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい道は平らになる。こうして、すべての者が神の救いを見る。」でした。
「谷が埋められ」というのは、自分などだめだという卑屈な心を埋められることです。さらに、「山や丘を低くされ」というのは、高ぶった心が低くされることです。私たちの人生の荒野もまたそうです。自分などだめだと落ち込み、もっとだめな人を見つけて、あの人よりはましだと高慢になる。その道は歪んで、でこぼこしています。
しかしその荒野で、ヨハネは神の救いを経験しました。そしてイスラエルの仲間たちに向かって、神の救いを見て欲しいと切に願ったのです。ヨハネも高慢の山と丘が低くされ、コンプレックスの谷が埋められていった。だからこそヨハネは、自分自身も主に取り扱われたこの荒野という場所で、たましいの荒野をさまようイスラエルの仲間たちと、この救いを共にしたいという気持ちがあったのではないかと思います。
ヨハネのように今日、神の言葉が私たちに迫ってきます。この神の言葉を語る牧師という仕事に求められるのは、自分自身が悔い改めるということです。説教をしながら、その説教は自分に向かって突き刺さります。あなたはこれを語れるほど、神の言葉に生きているのかと問いかけられるのです。説教者は、自分の荒野と向き合わざるを得ません。
私たちは、自分の大切な人に伝えようとする言葉は、あなたの人生の荒野から語られているでしょうか。あなたの人生の高いところから語られた言葉は、決して人に響きません。神殿のような場所から立派に生きていきなさいと語られても、その思いは伝わらないでしょう。あんな人のように立派な人にはなれないと思われるのがオチです。
しかし荒野から私たちは悔い改めを語るのです。まさにイエス様は、神が人となられて、高きところから低きところへと場所を移され、人間の悲しみ、貧しさ、苦しみのただ中を通られた神です。その神が私たちに語られるのです。「悔い改めなさい」と。「わたしのもとへ戻ってきなさい。」この神のもとへ戻っていこうではありませんか。
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