『敬天愛人』のルーツ 中村正直

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.08.24
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 22章37?39節
放送日
2020.08.24

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「世の光」の時間です。お元気ですか、岩井基雄です。第四月曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日は、西郷隆盛が愛した言葉、「敬天愛人」のルーツである中村正直です。
 明治に生きた6大教育家のうちの3名は、クリスチャンでした。既に、新島襄と森有礼は学びましたので、今月は、中村正直について学びましょう。
 天保三年、1832年に生まれた正直は、西郷の4歳年下でした。幕府同心の家に生まれ、儒学、蘭学、そして英語を学んだ正直は幕府の儒官となり、34歳の時に、イギリス留学生12名の監督として渡英します。そのイギリスで、正直はキリスト教との出会いがありました。
 明治元年1868年、正直36歳の時、幕府が瓦解します。そのため正直は、帰国を余儀なくされ、静岡学問所の教授となります。このとき、同じ学問所の教授だったのがエドワード・クラーク宣教師で、生涯の友となったのです。そして後に、正直もキリストへの信仰を告白し、洗礼を受けることになるのです。
 正直は、教授時代の38歳の時に、イギリスの牧師で思想家のサミュエル・スマイルズの「自助論」を翻訳します。それは、「西国立志編」の邦題で出版され、福沢諭吉の「学問のすすめ」と並ぶ大ベストセラーとなりました。その本の中で正直は、「敬天愛人」という言葉を使うのです。
 後に彼は、東京大学の教授となり、女子教育、聾唖教育にも尽力していきます。41歳の時には、同人社という私塾を開設、また明六社の設立に参加し、明治の教育の重要な働きを担うのです。明治七年、 42歳のとき正直は、横浜の教会でコクラン宣教師の説教を聞き、次の年に、養子の一吉とともにコクランからキリスト教の洗礼を受けました。58歳で地上の生涯を終えるまで、キリスト者として教育に携わり続けたのです。
 聖書のことば「イエスは彼に言われた。『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。これが、重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。」マタイの福音書22章37節?39節

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