いよいよファラオの前に

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2020.08.10
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 出エジプト記 7章17、18節
放送日
2020.08.10

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「世の光」の時間です。お変わりありませんか、岩井基雄です。第二月曜日の今日は旧約聖書のモーセの生涯から学びましょう。
 奴隷状態の神の民を、エジプトから脱出させるために神はモーセを立てます。その使命に立つ前に、モーセは数々の挫折を通して砕かれ整えられました。そして、神の御名にある神の主権に信頼することを、神はモーセに教えたのです。身も心も信仰も整えられたモーセは、兄アロンとともにエジプトの王ファラオの前に立ちます。エジプトは、様々な偶像で満ち溢れ、怪しげな呪術を行なう者も大勢いました。その王宮に、まことの神を知るモーセたちが立ちます。
 真の神を侮り、「不思議を見せよ」と豪語する王に対し、モーセは、アロンの杖が蛇になるという神の奇跡を示したのです。しかし、王は驚くどころか、呪術者によって同じようなわざを行わせました。悪しき悪霊のわざによるのでしょうか、あるいは蛇が杖のように見せかけられていたのでしょうか。ところが、アロンの杖が彼らの杖を飲み込んだのです。エジプトで偶像化されていた蛇に対し、まことの神の勝利が示されました。それでも王は、心を頑なにして神の民を出て行かせません。
 しかし、王の頑なさを神はよくわかっていました。そして王の頑なさのゆえに、神の大いなるわざがエジプトで力強く現されることになります。人の愚かさを通してさえ、神は御自身の力を示されるのです。
 最初は、エジプトの繁栄の源であるナイル川への神のさばきでした。モーセは王にこう語りました
 「主はこう言われます。あなたは、次のことによって、わたしが主であることを知る、と。ご覧ください。私は手に持っている杖でナイル川の水を打ちます。すると、水は血に変わり、ナイル川の魚は死に、ナイル川は臭くなります。」旧約聖書 出エジプト記7章17節、18節
 ナイル川の死は、エジプトの死とも言えるでしょう。水は、命と繁栄の要因だったからです。しかしエジプトの呪術者たちも、同じようなことをしてみせ、なお王は心を頑なにするのです。そこにも神様の招きがありました。王も呪術者も、徹底して神様に砕かれる必要があったからです。神様は、私たちの人生を取り扱い、ご自身こそまことの神であることを示されるのです。

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