信じるということ 1-わからないことがある

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • イースター

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アップロード日
2020.04.02
カテゴリ
人物・人生
放送日
2020.04.02

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。今月は、 イエス・キリストの復活された「イースター」を過ごしていきます。
ヨハネ福音書には、イエス・キリストの復活を信じないと言う、トマスとい う人が出てきます。他の弟子たちが、「私たちは復活された主を見た」と喜ぶ中 で、トマスは言います。
「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手 をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」
さて、信じるとは一体どういうことなのでしょうか。トマスのもとにイエス 様が現れたのは、復活後 8 日経ってからでした。他の弟子に現れた日から、な んと一週間の間がありました。「信じません」と言った瞬間に現れてくれて、「ト マスなぜ信じないのか」と、トマスのことをしかりつけて下さったら、すぐ済 む話だったと思います。この 8 日間、トマスは悩んだと思います。復活は本当 なのかと。
先日、長い間信仰持てずに教会を通っていた方が、信じる決心をされました。 「ずっと信じられなかった理由は何ですか?」とお聞きすると、「一旦信じても、 そのあと自分には疑いが生まれるんではないか、信じ続けていけるだろうかと いう不安があった」とおっしゃいました。
信じた後は迷ってはいけない、疑ってもいけないという、誤った信仰理解が あると思います。しかし、私たちが信じた後も迷うし、疑うんです。それは、 そもそも信じるとは、迷う・疑う・わからないを含み込んだ事柄だからです。
キリスト教信仰は、悟るという言い方はあまりしません。しかも神を悟ると は決して言いません。なぜなら、もし神を悟り得るならば、神を理解できた人 間の方が神より上です。むしろ理解し得た神様は、私たちの手のひらサイズの 神になってしまいます。
しかし悟るではなく、認識するでもなく、理解するでもなく、クリスチャン は「信じる」という言葉を使います。「信じる」という言葉を使うとき、わから ないことがあるということを含み込んでいます。信じるにあたって、わからな いことがあることは問題ではありません。わからないという問いを神様に向け て行くとき、実は既に信じるということが始まっているのです。
ぜひ、わからないことを含み込みつつ、神様に問いかけるトマスのような、 悩む時間を過ごしていただきたいと思います。

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