十戒-自由への励まし104

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2019.05.09
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 出エジプト記 章
放送日
2019.05.09

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 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる、神と人との間に結ばれた約束があります。十戒第九戒は、「隣人に対して偽証をしてはならない」です。
 十戒第九戒をはじめに聞いた人たちに、この戒めが直接的に意味したことは、裁判における偽証の禁止です。当時は、裁判が今日よりも日常的に行われるもので、何かいざこざがあると人の集まる場所で裁き司、つまり裁判官を呼んで裁判を行いました。十戒の戒めを受け取ったイスラエルの人々にとっては、指導者モーセがその役割を担っていました。モーセのもとには大量の問題が持ち込まれたので、モーセは自分のしゅうとイテロの助言に従って、民の裁き司を立てたことを聖書は記しています。これは新約聖書の時代にも見られ、姦淫の罪を犯した女性の裁判においても、イエス様が律法の教師として、人々から判断が求められました。
 しかしこの裁判では、判断を求められたイエス・キリストを陥れようとした思惑を持っている人々の意図が背後にありました。つまり、このような裁判は、表向きは公平であるように見えながら、その背後に権力者や指導者の意図が働くことがあったのです。それ故、聖書ではこの当時の裁判には二人以上の証言を求め、複数の証言によって裁判がなされ、証言は重要な役割を果たしたのです。
 しかし、聖書の他の箇所では、ナボテという人が持っている葡萄畑を欲しいと思った王様アハブが、策略によって聖書通りに二人の男に、ナボテは神と王を呪ったという証言をさせます。その証言のせいでナボテは石打の刑となり、アハブ王はナボテの葡萄畑を奪い取ったのです。
 もし裁判で偽証されることになれば、裁判への信頼は失われ、社会的公正さが崩れていきます。さらに偽りの証言をされた被害者の生活、尊厳、また将来も、さらには家族の人生が破壊されることとなります。そのため偽証の罪は、非常に重いものとされました。第九戒の求めることは、公において、正しく正義が貫かれる社会が形成されることです。つまり、偽りの証言をしないという、社会参加をすることを求められていたのです。
 私たちもまた、自分のついた小さな嘘が、誰かの人生を滅ぼすようなことがあってはいけません。第九戒の戒めのように、今日も、私たちは誠実に自分の語る言葉に責任を持つ必要があるのです。

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