ホモ・サピエンスと人間
- 出演者
- 井本祐介
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2025.10.10
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] 創世記 4章6節
- 放送日
- 2025.10.10
「世の光」の時間です。東京都羽村市にある、おざく台教会の牧師、井本祐介です。平日は、中学と高校で理科の教師もしています。
最初に聖書のことばを読みます。旧約聖書 創世記4章6節「主はカインに⾔われた。『‧‧‧なぜ顔を伏せているのか」
世界には様々な⽣き物がいます。⽣物としてのヒトは、「賢い⼈」という意味の「ホモ‧サピエンス」という名前で分類され、直⽴⼆⾜歩⾏、脳容量が1リットル以上、体⽑がないなどの特徴が挙げられます。
では、ヒトに分類されれば、本当に⼈間と⾔えるのでしょうか。
今⽇では、⼈間を⼈間扱いせず平気でいのちを奪う⾏為が堂々と⾏われています。⼈権を軽んじ、優劣や順位を付け、⽴場の弱い⼈をないがしろにする主張が、平然と語られています。「ホモ‧サピエンス」「賢い⼈」であるはずの⼈間が、その知恵を使い、愚かに、獣のように振る舞ってしまうのです。
本当の賢さ、本当の⼈間らしさとは何でしょうか。聖書の中で使われる「⼈間」を表す「アンスローポス」ということばには、「顔を上に上げる者」という意味があります。天を⾒上げる、神を⾒上げる、それでこそヒトは⼈間らしくあることができるんだ。そんな意味をこめて聖書にこのことばが使われたのだと思います。
旧約聖書に記されている、⼈類最初の殺⼈事件、兄弟であったカインとアベルのエピソードでは、カインは、顔を伏せたと繰り返し語られています。天を⾒上げず、顔を伏せ続けたカイン。彼は次第に⼈間らしさを失い、妬みにかられ愚かになり、まるで獣のようにアベルを⼿にかけてしまいます。悲しい話ですが、その姿に、私たち人間の姿が重なる気がします。
⼀⽅で、天を⾒上げ、⼈を愛し、⼈に奉仕し、⽣き抜いたのが、イエス‧キリストです。⽴場の弱い⼈を尊び、悲しむ⼈に寄り添い、汝の敵を愛せよ、と説き、罪を⾝代わりに背負い⼗字架にかかったキリストの姿には、今⽇を⽣きる私たちに必要な、本当の⼈間性が表されているのです。
どうぞ聖書を⼿にとって⾒てください。福⾳書に記されたキリストの姿に⽬を向けてみてください。キリストを⾒る時、天を⾒上げる時、私たちはほんとうの意味で⼈間らしくあることができるのです。
最初に聖書のことばを読みます。旧約聖書 創世記4章6節「主はカインに⾔われた。『‧‧‧なぜ顔を伏せているのか」
世界には様々な⽣き物がいます。⽣物としてのヒトは、「賢い⼈」という意味の「ホモ‧サピエンス」という名前で分類され、直⽴⼆⾜歩⾏、脳容量が1リットル以上、体⽑がないなどの特徴が挙げられます。
では、ヒトに分類されれば、本当に⼈間と⾔えるのでしょうか。
今⽇では、⼈間を⼈間扱いせず平気でいのちを奪う⾏為が堂々と⾏われています。⼈権を軽んじ、優劣や順位を付け、⽴場の弱い⼈をないがしろにする主張が、平然と語られています。「ホモ‧サピエンス」「賢い⼈」であるはずの⼈間が、その知恵を使い、愚かに、獣のように振る舞ってしまうのです。
本当の賢さ、本当の⼈間らしさとは何でしょうか。聖書の中で使われる「⼈間」を表す「アンスローポス」ということばには、「顔を上に上げる者」という意味があります。天を⾒上げる、神を⾒上げる、それでこそヒトは⼈間らしくあることができるんだ。そんな意味をこめて聖書にこのことばが使われたのだと思います。
旧約聖書に記されている、⼈類最初の殺⼈事件、兄弟であったカインとアベルのエピソードでは、カインは、顔を伏せたと繰り返し語られています。天を⾒上げず、顔を伏せ続けたカイン。彼は次第に⼈間らしさを失い、妬みにかられ愚かになり、まるで獣のようにアベルを⼿にかけてしまいます。悲しい話ですが、その姿に、私たち人間の姿が重なる気がします。
⼀⽅で、天を⾒上げ、⼈を愛し、⼈に奉仕し、⽣き抜いたのが、イエス‧キリストです。⽴場の弱い⼈を尊び、悲しむ⼈に寄り添い、汝の敵を愛せよ、と説き、罪を⾝代わりに背負い⼗字架にかかったキリストの姿には、今⽇を⽣きる私たちに必要な、本当の⼈間性が表されているのです。
どうぞ聖書を⼿にとって⾒てください。福⾳書に記されたキリストの姿に⽬を向けてみてください。キリストを⾒る時、天を⾒上げる時、私たちはほんとうの意味で⼈間らしくあることができるのです。
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