わたしは世の光である

出演者
板倉邦雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

もっと詳しく見る

アップロード日
2025.01.21
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 8章12節
[旧約聖書] 詩篇 119篇105節
放送日
2025.01.21

いいね登録

     登録数:11

いいねリストを見る

「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。
今日は「わたしは世の光である」という題でお話しましょう。ヨハネの福音書の特徴のひとつは、イエス様がご自分を様々なものにたとえて紹介していることです。今日は、「わたしは世の光である」とイエス様はご自分を紹介します。ヨハネの福音書8章12節です。
イエス様はご自分を世界の光にたとえました。光は1秒間に30万キロ走ります。光によって昼と夜とが分かれます。光は私たちにとって、安全と健康を与えてくれます。また、暖かさや美しさを感じさせてくれますね。何よりも、光はいのちの力を注いでくれます。イエス様は世の光ですから、私たち信じる人々に安全と健康を約束し、恵みの暖かさによる喜びや希望や感動を与えてくださいます。そして何よりもいのちの光、未来や死と死後まで照らして突き抜ける光です。
次にイエス様は続けて言われます。「わたしに従って来る者は、闇のうちを歩くことがなく、いのちの光を持つであろう」闇の特徴は迷いと不安でしょう。山のキャンプでナイトハイクをした時、暗闇の中で迷い、不安になった経験がありました。第2に闇は危険と災いでしょう。停電になり、街灯も消え、真っ暗な道を自転車で帰宅したとき、障害物にぶつかったことがありました。そして何よりも、闇は生きとし生けるものを吞み込むような死の力を持っていないでしょうか。しかし、イエス様を信じて従う者は決して闇のうちを歩くことがなく、いのちの光を持つのです。この世は「闇」とよく言われますが、この世が不義と不潔な闇の状態だからでしょう。神の正義と神の聖潔から離れているからでしょう。神を離れたこの世は闇のようであると聖書は呼んでいます。しかし、イエス様は世の光です。ですから、イエス様を信じ、従う人は決して闇の中を歩くことがありません。私たちの人生の足元を照らす光です。私たちの人生の道を照らす光でもあります。慰めと希望の光です。死と死後の闇をも照らす光ではないでしょうか。そして、永遠のいのちへと導く光なのです。聖書のことばです。「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です」(詩篇119篇105節)

コメント

番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。

コメントを投稿する

お問い合わせ