諦めると委ねる
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 疲れているとき
- 不安や恐れを感じているとき
- 孤独や悲しみを覚えるとき
- 元気をもらいたいとき
- 一歩踏み出したいとき
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- アップロード日
- 2025.01.18
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] 詩篇 55篇22節
- 放送日
- 2025.01.18
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会・協力牧師の水谷潔です。
日本語には、「諦める」ということばがあります。「諦める」といいますと、何か願ってきたことを断念すること、目的のために積み上げてきた努力をやめてしまうことなど、マイナスに受け取られがちですよね。
しかし、本来は、そうではないようです。「諦める」の語源は昔のことばで「明らむ」、つまり、「明らかにする」というふうに考えられています。そして、この「諦める」は仏教の教えから来ていて、物事の本質を明らかにすることを意味します。その結果、自分ではどうしようもないことを事実として受け止めるわけです。ですから、諦めるとは、必ずしもマイナスではなく、理にかなった賢明な判断となる場合もあるわけです。
実は、聖書には、この「諦める」と似ているようで少し違うことばが登場するんですよね。それは、「委ねる」ということばです。旧約聖書の詩篇55篇22節のことばをお読みします。「あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。主は決して正しい者が揺るがされるようにはなさらない」
私たちの人生は、大なり小なり何かの重荷を負いながら、歩んでいくようなものです。しかし、その重荷がとても負いきれない場合もあります。負ってみたものの途中から、負い切れなくなってしまうこともあります。
そのような私たちに、聖書は、負い切れない重荷を、諦めて下ろすのではなく、神様に委ねましょうと語り掛けます。神様が自分に替わって、その重荷を負ってくださると言うのです。そのようにして、神様は、負いきれぬ重荷に苦しむ私たちが倒れてしまわぬよう支えてくださるのです。
「あなたの重荷を私にゆだねませんか。私があなたを支えるから」。神様は、聖書のことばを通じて、そう語り掛けておられます。あなたの重荷を負ってくださり、あなたを支えるこの神様を信じてみませんか。
日本語には、「諦める」ということばがあります。「諦める」といいますと、何か願ってきたことを断念すること、目的のために積み上げてきた努力をやめてしまうことなど、マイナスに受け取られがちですよね。
しかし、本来は、そうではないようです。「諦める」の語源は昔のことばで「明らむ」、つまり、「明らかにする」というふうに考えられています。そして、この「諦める」は仏教の教えから来ていて、物事の本質を明らかにすることを意味します。その結果、自分ではどうしようもないことを事実として受け止めるわけです。ですから、諦めるとは、必ずしもマイナスではなく、理にかなった賢明な判断となる場合もあるわけです。
実は、聖書には、この「諦める」と似ているようで少し違うことばが登場するんですよね。それは、「委ねる」ということばです。旧約聖書の詩篇55篇22節のことばをお読みします。「あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。主は決して正しい者が揺るがされるようにはなさらない」
私たちの人生は、大なり小なり何かの重荷を負いながら、歩んでいくようなものです。しかし、その重荷がとても負いきれない場合もあります。負ってみたものの途中から、負い切れなくなってしまうこともあります。
そのような私たちに、聖書は、負い切れない重荷を、諦めて下ろすのではなく、神様に委ねましょうと語り掛けます。神様が自分に替わって、その重荷を負ってくださると言うのです。そのようにして、神様は、負いきれぬ重荷に苦しむ私たちが倒れてしまわぬよう支えてくださるのです。
「あなたの重荷を私にゆだねませんか。私があなたを支えるから」。神様は、聖書のことばを通じて、そう語り掛けておられます。あなたの重荷を負ってくださり、あなたを支えるこの神様を信じてみませんか。