キリストは、道であり光である
- 出演者
- 羽鳥頼和
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 不安や恐れを感じているとき
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- アップロード日
- 2024.11.30
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] イザヤ書 58章
- 放送日
- 2024.11.30
「世の光」の時間です。お聞きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今週は、旧約聖書イザヤ書の53章から58章の各章からお話ししてきました。
今日は、58章からお話しします。
まず、イザヤ書が書かれた時代が、実際にどんなであったか、お話しします。
古代イスラエル王国が、南北に分裂し、北のイスラエル王国は、アッシリアという国に滅ぼされてしまいます。その後、南のユダ王国は、バビロンという国によって滅ぼされ、人々はバビロンに連れて行かれてしまいました。
この王国の滅亡は、ユダ王国に対する神によるさばきでした。
人々に自分の罪を認めさせ、神に立ち返らせるためでした。
神は人を救おうとされているのです。
イザヤ書では、神のきびしいさばきの宣告が語られるとともに、すばらしい神の救いのご計画が預言されています。
実際に、ユダの人々は、ペルシャという国のキュロスという王によって、解放され、帰国し、神殿を再建することが出来るのです。
イザヤ書は、このような救いは、神がなしてくださったことであると語っています。
58章には、神によって国が復興し、神殿が再建されたときに、人々が、神の教えをしっかり守り、喜んで神を礼拝し、神に喜ばれる生活をすることが語られています。神に逆らい続けていた人々が、神に立ち返り、神に従う人生を歩むことが出来るようになると神が約束してくださっているのです。
58章では、神の教えを守り行い、神を礼拝し、神に喜ばれる生活をすることを、「道」と語り、その道を歩むことを、「光が輝く」と表現しています。
イエス・キリストは、「わたしが道」であると言われ、「わたしは世の光です」と言われました。
それは、イエス・キリストこそが、私たちを、神の教えを守り、神を礼拝し、神に喜ばれる生活をすることの出来る者に変えて下さるお方であることを教えているのです。
明日は日曜日です。教会では、神に礼拝をささげます。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。
今週は、旧約聖書イザヤ書の53章から58章の各章からお話ししてきました。
今日は、58章からお話しします。
まず、イザヤ書が書かれた時代が、実際にどんなであったか、お話しします。
古代イスラエル王国が、南北に分裂し、北のイスラエル王国は、アッシリアという国に滅ぼされてしまいます。その後、南のユダ王国は、バビロンという国によって滅ぼされ、人々はバビロンに連れて行かれてしまいました。
この王国の滅亡は、ユダ王国に対する神によるさばきでした。
人々に自分の罪を認めさせ、神に立ち返らせるためでした。
神は人を救おうとされているのです。
イザヤ書では、神のきびしいさばきの宣告が語られるとともに、すばらしい神の救いのご計画が預言されています。
実際に、ユダの人々は、ペルシャという国のキュロスという王によって、解放され、帰国し、神殿を再建することが出来るのです。
イザヤ書は、このような救いは、神がなしてくださったことであると語っています。
58章には、神によって国が復興し、神殿が再建されたときに、人々が、神の教えをしっかり守り、喜んで神を礼拝し、神に喜ばれる生活をすることが語られています。神に逆らい続けていた人々が、神に立ち返り、神に従う人生を歩むことが出来るようになると神が約束してくださっているのです。
58章では、神の教えを守り行い、神を礼拝し、神に喜ばれる生活をすることを、「道」と語り、その道を歩むことを、「光が輝く」と表現しています。
イエス・キリストは、「わたしが道」であると言われ、「わたしは世の光です」と言われました。
それは、イエス・キリストこそが、私たちを、神の教えを守り、神を礼拝し、神に喜ばれる生活をすることの出来る者に変えて下さるお方であることを教えているのです。
明日は日曜日です。教会では、神に礼拝をささげます。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。
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