うなだれて終わらない歩み

出演者
水谷 潔
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 元気をもらいたいとき

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アップロード日
2024.10.24
カテゴリ
聖書箇所
[旧約聖書] 詩篇 42篇5節
放送日
2024.10.24

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「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります、春日井聖書教会・協力牧師の水谷潔です。 
 高校野球の強豪、浪商のエースとして、プロ野球では中日とロッテで主力投手として活躍した牛島和彦さんをご存知でしょうか。牛島さんは、引退後しばらくして、2005年に横浜ベイスターズの監督に就任します。そして、着手したのは、低迷していたチームの投手陣の建て直しでした。
投手陣の意識改革の一環として「ホームランを打たれて、膝に手を当て下を向いたら、代える」と予告しました。すると、そのシーズンは、対象となる投手はひとりも出なかったそうです。「しそうにはなるんですけど、下を向いて手が膝にいきかけたところで思い出して、立ち直っていましたね」。と牛島さんは振り返ります。意識改革が成功し、投手たちが、打者に向かっていく気持ちを失わなくなったからでしょう。そのシーズン、チームは3年連続の最下位から、3位へと大躍進を遂げることとなります。
実は、聖書も、膝に手をあて下を向くこと、「うなだれること」について記しています。旧約聖書、詩篇42編5節をお読みします。「 わがたましいよ なぜ おまえはうなだれているのか。 私のうちで思い乱れているのか。 神を待ち望め。 私はなおも神をほめたたえる。 御顔の救いを」
この詩篇を書いた詩人は、魂がうなだれ、思い乱れています。彼は、うなだれないように、意識変革をしたのではなく、うなだれてしまってから、意識変革をしています。詩人は、うなだれてしまった自分の魂に向けて神様を待ち望めと命じます。そして、それでも、自分は、神様をほめたたえるのだと決断します。何と、力強く、前向きで、希望に満ちているでしょう。
うなだれてしまったとしても、神様を待ち望むなら、希望があります。失望してしまう状況の中でも神様を褒めたたえることで、前を向いて、歩んでゆけるのです。詩人は神様によって、意識変革をしていただき、立ち上がろうとしています。そうです。うなだれたままで終わらない理由は、自分自身の中にではなく、神様にあるのです。
神様を信じる恵みの一つは、うなだれることがあっても、そのままで終わらないことです。ラジオの前のあなたも、うなだれた者の顔を上げてくださるこの神様と共に歩みませんか?

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