逃亡者ダビデの讃美①
- 出演者
- 羽鳥頼和
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 不安や恐れを感じているとき
- 人を許すことが出来ないとき
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- アップロード日
- 2024.07.25
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] 詩篇 54篇
- 放送日
- 2024.07.25
「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今日から3回にわたって旧約聖書の詩篇から困難の中にあっても神を信じ続けたダビデの信仰についてお話しします。
今日は、詩篇54篇からお話しします。詩篇とは、神への讃美を集めた讃美歌集です。
この詩篇は、ダビデが、自分を殺そうとするイスラエルの王サウルから逃げているときに、自分の隠れている所がサウル王に知られてしまったときに作った讃美です。
「見よ 神は私を助ける方。主は私のいのちを支える方」
このようにダビデは、神が自分を助け、支えて下さるお方であることを告白しています。
そして、ダビデはこのように語ります。
「神は 私を待ち伏せる者たちに わざわいをもって報いられます。あなたの真実によって 彼らを滅ぼしてください)」
「神は、・・・報いられます」とは、その人が行ったことに対しての報いであって、ダビデが仕返しをするのではないのです。
「彼らを滅ぼしてください」とあるのも、「あなたの真実によって」という条件が付いています。
つまりダビデは、自分が彼らを憎んでいるかどうかには関係なく、神が正しくさばいてくださるお方であることを忘れていないのです。
ダビデは、そのような正しいさばきを行う神を信頼して
「私は 心からのささげ物をもって あなたにいけにえを献げます」
と言って神を礼拝しています。
この「ささげ物」「いけにえ」について、すこし説明をしなければなりません。
もともと「ささげ物」「いけにえ」は、神が人の罪を赦すために定められたことです。
ダビデは、自分も滅びるべき罪人であることを認めて、神が定められた「ささげ物」「いけにえ」をささげようとしているのです。
このことは、私たちにも関係あることです。聖書は、まことの「ささげ物」「いけにえ」としてすべての人のために、キリストが十字架にかかって死なれたと教えているからです。
人が、罪を赦されて、神との関係を回復されて、神の救いを得るために、キリストは、まことの「ささげ物」「いけにえ」として十字架にかかって死んでくださったのです。
今日から3回にわたって旧約聖書の詩篇から困難の中にあっても神を信じ続けたダビデの信仰についてお話しします。
今日は、詩篇54篇からお話しします。詩篇とは、神への讃美を集めた讃美歌集です。
この詩篇は、ダビデが、自分を殺そうとするイスラエルの王サウルから逃げているときに、自分の隠れている所がサウル王に知られてしまったときに作った讃美です。
「見よ 神は私を助ける方。主は私のいのちを支える方」
このようにダビデは、神が自分を助け、支えて下さるお方であることを告白しています。
そして、ダビデはこのように語ります。
「神は 私を待ち伏せる者たちに わざわいをもって報いられます。あなたの真実によって 彼らを滅ぼしてください)」
「神は、・・・報いられます」とは、その人が行ったことに対しての報いであって、ダビデが仕返しをするのではないのです。
「彼らを滅ぼしてください」とあるのも、「あなたの真実によって」という条件が付いています。
つまりダビデは、自分が彼らを憎んでいるかどうかには関係なく、神が正しくさばいてくださるお方であることを忘れていないのです。
ダビデは、そのような正しいさばきを行う神を信頼して
「私は 心からのささげ物をもって あなたにいけにえを献げます」
と言って神を礼拝しています。
この「ささげ物」「いけにえ」について、すこし説明をしなければなりません。
もともと「ささげ物」「いけにえ」は、神が人の罪を赦すために定められたことです。
ダビデは、自分も滅びるべき罪人であることを認めて、神が定められた「ささげ物」「いけにえ」をささげようとしているのです。
このことは、私たちにも関係あることです。聖書は、まことの「ささげ物」「いけにえ」としてすべての人のために、キリストが十字架にかかって死なれたと教えているからです。
人が、罪を赦されて、神との関係を回復されて、神の救いを得るために、キリストは、まことの「ささげ物」「いけにえ」として十字架にかかって死んでくださったのです。
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