復讐
- 出演者
- 関根弘興
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
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- アップロード日
- 2024.07.12
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] 創世記 4章23~24節
- 放送日
- 2024.07.12
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか?関根弘興です。
前回は、レメクという人のことを紹介しました。彼は、カインの末裔で、「強い者」という意味をもつ名前がつけられた人物でした。彼は、まさにその名の通り、頼れるのは自分の強さ、力だけ、と考えるような人でした。そしてレメクは、ふたりの妻をめとりました。このレメクに三人の子どもが生まれ、様々な文化を発展させていきました。それらのものは私たちの生活を快適にさせ、便利にさせてくれるものです。どれひとつとっても決して悪いものではありません。しかし、問題は、もし、人が謙遜さを失い、神様をあがめようとせず、ただ自分の力を誇示するためにそれらを用いていくなら、その文化は限りなく危険性をはらんでいるということを知っておかなければなりません。
さて、三人の父親であるレメクは、自分の妻たちの前でこんな歌を歌いました。「レメクの妻たちよ、私の言うことに耳を傾けよ。私は一人の男を、私が受ける傷のために殺す。一人の子どもを、私が受ける打ち傷のために。カインに七倍の復讐があるなら、レメクには七十七倍」こう歌ったのです。
自分の強さを誇り、恐怖を与えることによって人を支配しようとする歌をうたったわけですね。レメクは、「私が受けた傷のためには、ひとりの人を、私の受けた打ち傷のためには、ひとりの子どもを殺す」と歌っています。いったいどういうことでしょう。それは「人が自分をちょっとでも傷つけたら容赦はしない、必ず殺してしまうぞ!大人であっても子どもであっても容赦しないぞ」というわけです。さらにレメクは、「カインに七倍の復讐があるなら、レメクには七十七倍」と豪語しました。「やられたらやり返せ。倍返しだ!」はまだかわいいほうですね。やられたら、七十七倍返しだ!というのがレメクの姿です。つまり徹底的にやり返す、というのです。このような態度は、結果的に何を産み出すのでしょう。
それは復讐の連鎖です。そして争いは限りなく激化していくのです。残念ながら、レメクの語ったことばは、世界中に至るところで今も生きていると思いませんか。私たちは、いまも毎日、同じような光景を色々なところで見ているではありませんか。このように、聖書は、カインの子孫が自分の力により頼み、人を恐怖によって支配しようとする姿を記しています。しかし、結局、この姿は破壊へと向かっていく姿であり、強さをただはき違えているのだということを、聖書は教えているようですね。
前回は、レメクという人のことを紹介しました。彼は、カインの末裔で、「強い者」という意味をもつ名前がつけられた人物でした。彼は、まさにその名の通り、頼れるのは自分の強さ、力だけ、と考えるような人でした。そしてレメクは、ふたりの妻をめとりました。このレメクに三人の子どもが生まれ、様々な文化を発展させていきました。それらのものは私たちの生活を快適にさせ、便利にさせてくれるものです。どれひとつとっても決して悪いものではありません。しかし、問題は、もし、人が謙遜さを失い、神様をあがめようとせず、ただ自分の力を誇示するためにそれらを用いていくなら、その文化は限りなく危険性をはらんでいるということを知っておかなければなりません。
さて、三人の父親であるレメクは、自分の妻たちの前でこんな歌を歌いました。「レメクの妻たちよ、私の言うことに耳を傾けよ。私は一人の男を、私が受ける傷のために殺す。一人の子どもを、私が受ける打ち傷のために。カインに七倍の復讐があるなら、レメクには七十七倍」こう歌ったのです。
自分の強さを誇り、恐怖を与えることによって人を支配しようとする歌をうたったわけですね。レメクは、「私が受けた傷のためには、ひとりの人を、私の受けた打ち傷のためには、ひとりの子どもを殺す」と歌っています。いったいどういうことでしょう。それは「人が自分をちょっとでも傷つけたら容赦はしない、必ず殺してしまうぞ!大人であっても子どもであっても容赦しないぞ」というわけです。さらにレメクは、「カインに七倍の復讐があるなら、レメクには七十七倍」と豪語しました。「やられたらやり返せ。倍返しだ!」はまだかわいいほうですね。やられたら、七十七倍返しだ!というのがレメクの姿です。つまり徹底的にやり返す、というのです。このような態度は、結果的に何を産み出すのでしょう。
それは復讐の連鎖です。そして争いは限りなく激化していくのです。残念ながら、レメクの語ったことばは、世界中に至るところで今も生きていると思いませんか。私たちは、いまも毎日、同じような光景を色々なところで見ているではありませんか。このように、聖書は、カインの子孫が自分の力により頼み、人を恐怖によって支配しようとする姿を記しています。しかし、結局、この姿は破壊へと向かっていく姿であり、強さをただはき違えているのだということを、聖書は教えているようですね。
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