泣かなくてもよい③

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 愛する人を失ったとき
  • 死や命について考えているとき

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アップロード日
2024.07.03
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 7章11~17節
放送日
2024.07.03

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。私の担当する今週は、イエス様が「泣かなくてもよい」とおっしゃった聖書のルカ福音書7章から学んでいます。
私たちは葬儀の悲しみや痛みの前に立つ時、ことばを失います。本当に慰めることばを持つことができない自分を見出します。何を言っても自分のことばは虚しい。葬儀で涙にくれるご遺族の前に行く時、ことばなくうなだれて、小さく頭を下げることしかできません。一緒に泣いたとしても、その涙は本人の悲しみをどれだけわかっているのかというと、自分のことばの無力さを感じるしかありません。
しかし、イエス様は「泣かなくてもよい」と言われます。私たちの中で誰がこのようなことばをかけることができるでしょうか。私たちはこの葬列に連なっている町の人々と同じように、死の悲しみの中にいる人の傍らに付き添うことによって、何がしかの慰めになりたいと願っています。悲しんでいる人に寄り添うことが慰めになることも確かです。しかし、特に若い人の、しかもやもめである母親の一人息子の死などのように、すべての希望を打ち砕くような死に直面する時、慰めのことばのかけようもありません。
死を前にした時に、何と人間は無力なのだろうかと思います。私たちの誰もが、死の力の支配を受け入れ、それに服するしかありません。死とは何でしょうか。死とは今日、生きている私たちとの断絶です。人は死の向こう側に行って、自力で戻ってくることのできる人など誰もいません。死は生きている者にとって、永遠の絶望をもたらします。
しかし、イエス様はおっしゃるのです。「もう泣かなくて良い。私が来たよ。私がいるよ」とおっしゃいます。イエス様は死に打ち勝つ神の力を持っておられました。イエス様は死の前で小さくうなだれるような方ではありません。あなたは、あなたの息子ともう一度再会できるのだと、再び彼女の前に息子を連れてきてあげられる私がいるよ。だからもう泣かなくて良いと語られるのです。イエス様こそいのちを司られる方。死からよみがえって来ることの出来る神です。この方がおられる時、私たちは泣かなくても良い唯一の希望を持つことが出来るのです。

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