本当にあったお墓のお墓

出演者
水谷潔
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 死や命について考えているとき
  • イースター

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アップロード日
2024.04.03
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] コリント人への手紙第一 15章55節
放送日
2024.04.03

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「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会・協力牧師の水谷潔です。
愛知県豊田市のあるお寺には、「お墓のお墓」があり、2万を超える数の墓石が、山の中に並べられています。そこでは、不要となった墓石を引き取り、毎月供養しているそうです。近年は、先祖代々からのお墓でも、管理する家族がおらず、墓終いをするケースが増えているとのことで、墓石が墓地やお寺から撤去され、運ばれて来るのだそうです。
その役割を終えると、ある意味、お墓も命尽きて、死んだことになるのでしょう。私が、この「お墓のお墓」のことを知って、思い起こしたのは、聖書が記すイエス・キリストのよみがえりです。
聖書によれば、イエス様は十字架につけられ、死なれ、墓に葬られました。しかし、三日目によみがえり、その墓は空っぽになったことを聖書は記しています。お墓が役割を果たしたのはたったの三日間だけです。これは、お墓が三日の命で終わったようなことでしょう。
実は、イエス様が死んだ後、墓からよみがえられたことは、イエス様が死に打ち勝ったことを意味します。言い換えれば、イエス様は、死の力を奪ったのです。死を命なきものとされたのです。死を死に至らしめたのです。そして、聖書によれば、イエス様を信じる者も、永遠のいのちをいただいて、死に勝利します。イエス様と同じように、死んだ後によみがえり、イエス様と共に永遠を生きるのです。
そのことをキリスト教の伝道者パウロは、こう語っています。新約聖書コリント人への手紙第一の15章55節をお読みします。「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか」。
イエス様とイエス様を信じる者のよみがえりによって、もはや死には勝利がないこと、私たちを突き刺す棘もないことを、聖書は宣言しています。
イエス様を信じるなら、その人は死に勝利できるのです。イエス様を信じる者にとって、肉体の死は終わりではなく、通過点となります。死は敗北ではなく、勝利の第一歩となります。遺骨を納める墓も、もはや終着点ではありません。永遠へのスタート地点なのです。
キリスト教会は、今、イエス様のよみがえりを喜び、イースターをお祝いしています。ぜひ、教会に行って、イエス様と出会い、死に勝利して、平安と喜びと希望に満ちた人生を送られることをお勧めします。

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