わたしが、命のパンである

出演者
板倉邦雄
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 元気をもらいたいとき

もっと詳しく見る

アップロード日
2024.02.24
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 6章34、35節
[新約聖書] ヨハネの福音書 4章
放送日
2024.02.24

いいね登録

     登録数:6

いいねリストを見る

「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は、「わたしが、命のパンである」という題でお話しましょう。
いよいよ、イエス様がご自分の正体を「たとえ」をもって明らかにします。「わたしが、いのちのパンです」「わたしが、天から下って来てこの世にいのちを与えるパンです」ヨハネの福音書6章34~35節です。
さて、人々はイエス様に求めます。「主よ、いつもその神のパンを私たちにお与えください」イエス様は答えました。「わたしが命のパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は、どんな時でも決して渇くことがありません」
子どもたちが大好きなアンパンマンは、お腹のすいた人に自分の顔をちぎって食べさせてあげますね。イエス様は、私たちのいのちのパンです。ですから、イエス様のそばに来る者に、ご自分のいのちをお与えになることができます。だから、決して誰も飢えることはありません。
イエス様が私たちにお与えになるいのちのパンは、量的な食べるパンのことではなく、質的ないのちのパンです。私たちの心と魂にお与えになるいのちのパンです。私たちの理性と感情と意志を、そして良心を満足させてくださるパンです。さらに、私たちの霊的な部屋も満足させるいのちのパンなのです。
さらに具体的に言いますと、イエス様を信じて従って来る人に、イエス様は、安らぎや喜び、感謝の日々をお与えになります。祈りの霊を注いでくださり、愛や親切、寛容、柔和、自制の実りの果実を食べさせてくださるでしょう。
さらに、イエス様は続けて約束しました。「わたしを信じる者は、どんな時でも決して渇くことがありません」。確かヨハネの4章でイエス様は、ご自分のことを「生ける水」にたとえられました。愛に飢え渇いていたあのサマリヤの女性に言いましたね。「このヤコブの井戸の水を飲む者は誰でも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者は誰でも、決して渇くことがありません」
この世の愛はキャッチボールの愛です。お互いに傷つけ合うこともあるでしょう。しかし、イエス様の愛は、天から雨のように、一方的で恵みの愛なのです。このイエス様を信じて、生けるいのちの水のような愛を注いでもらいたいのです。

コメント

番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。

コメントを投稿する

お問い合わせ