朽ちる食物の為ではなく

出演者
板倉邦雄
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2024.02.21
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 6章25、27節
放送日
2024.02.21

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は、「朽ちる食物の為ではなく」という題でお話しましょう。
「人は何のために働くのか」、この疑問を私は高校2年生の秋に心に抱いたことを忘れることができません。それは父や兄が、仕事を終えて愚痴を言いながら、時には喧嘩までして酒を飲んでいたからです。ヨハネの福音書6章26~27節です。
 さて、5千人の給食を経験した人々はイエス様を捜しながら追いかけて来ました。そして、イエス様を見つけた人々は言います。「先生、いつ、ここにおいでになったのですか」イエス様は答えました。「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、5千人の給食のしるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである」
 人々がイエス様を一生懸命、尋ね捜したのは、パンと魚を腹一杯食べて満腹したからでした。このイエス様について行けば、働かないで食いっぱぐれがないと踏んだのでしょう。5つのパンと2匹の魚で5千人以上の人々を養うという神のしるし、サインを見たからではありませんでした。このイエスこそ、生ける神の子救い主と信じたからではありません。
 本心をつかれた人々に対して、イエス様は続けて言われました。「朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい」
 「人は何のために働くのか」という私の素朴な疑問に、イエス様は答えてくださいました。私たちは朽ちていくパンのために働くのではありません。もしそうだったら、労働はただ苦しいだけ、空しいだけです。ヤケ酒も分かりますね。そうではなく、私たちの働く労働は、永遠の命に至る、天の父なる神様と結びついた労働なのです。その時、私たちの労働は神様の素晴らしさを現わすことになるでしょう。
 昔の人はよく言いました。「働くことはハタを楽にすることです」。自分の労働がハタを楽ににし、自分を楽にする目的を持っています。「永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい」と言われたイエス様のことばの意味が、少し分かりました。誰もが誰かのために働いているのです。これこそ、朽ちない食物のために働くことではないでしょうか。

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