人生の海の嵐に
- 出演者
- 板倉邦雄
- 制作
- PBA太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 不安や恐れを感じているとき
- 元気をもらいたいとき
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- アップロード日
- 2024.02.19
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ヨハネの福音書 6章16~21節
[旧約聖書] 詩篇 107篇29、30節
- 放送日
- 2024.02.19
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は、「人生の海の嵐に」と題でお話しましょう。
私たちの人生は、時々、海の航海にたとえられます。穏やかな日があり、風や雨の日があり、そして、嵐の日があるからです。しかし、主イエス・キリストは私たちを望む港へ導かれます。ヨハネの福音書6章16~21節です。
さて、イエス様はひとりで山へ退いてしまいました。弟子たちは夕方になったので、ガリラヤ湖畔に下りました。そして、舟に乗って、湖の海を渡って、向こう岸のカペナウムの町へ行こうとしたのです。すでに太陽は山に落ちて暗くなっていました。しばらく待っていましたが、イエス様は山に行ったきり帰ってきません。仕方なく弟子たちだけで舟に乗り込み、出発しました。
ところが、山から吹き降ろす突風が吹き、湖の海は荒れ出したのです。大波が舟に入って来るので、ある弟子たちは水を掻き出し、ある弟子たちは舟を漕ぎ進ませようとします。しかしながら、なかなか進みません。やっと4~5キロほど漕ぎ出したところで、皆、疲労困憊してしまいました。舟の中で座り込んでしまったのでしょうか。
その時です。ふと目を上げますと、イエス様が舟の方に向かって海の上を歩いてくるではありませんか。弟子たちは疲労と不安でしたので、イエス様を見て恐れました。他の福音書では、弟子たちがイエス様を「幽霊と思ったからだ」と記しています。
しかし、イエス様は弟子たちに声をかけられました。「わたしだ。恐れることはない」弟子たちは、イエス様がそばにいるだけでほっと安心し、喜んでイエス様を舟に迎えました。弟子たちがイエス様を迎え入れ、イエス様が舟に乗り込んでくださると、なんと直ちに嵐は静まり、彼らが行こうとしていた目的の港に着くことができたのです。
神の御子イエス様が共にいてくださる人生、イエス様を心と生活に迎え入れる人生は、たとえ嵐のような人生でも、私たちを望む港に導いてくださるのです。聖書のことばです。「主が嵐を鎮められると 波は穏やかになった。 波が凪いだので彼らは喜んだ。 主は彼らをその望む港に導かれた」(詩篇107篇29~30節)
私たちの人生は、時々、海の航海にたとえられます。穏やかな日があり、風や雨の日があり、そして、嵐の日があるからです。しかし、主イエス・キリストは私たちを望む港へ導かれます。ヨハネの福音書6章16~21節です。
さて、イエス様はひとりで山へ退いてしまいました。弟子たちは夕方になったので、ガリラヤ湖畔に下りました。そして、舟に乗って、湖の海を渡って、向こう岸のカペナウムの町へ行こうとしたのです。すでに太陽は山に落ちて暗くなっていました。しばらく待っていましたが、イエス様は山に行ったきり帰ってきません。仕方なく弟子たちだけで舟に乗り込み、出発しました。
ところが、山から吹き降ろす突風が吹き、湖の海は荒れ出したのです。大波が舟に入って来るので、ある弟子たちは水を掻き出し、ある弟子たちは舟を漕ぎ進ませようとします。しかしながら、なかなか進みません。やっと4~5キロほど漕ぎ出したところで、皆、疲労困憊してしまいました。舟の中で座り込んでしまったのでしょうか。
その時です。ふと目を上げますと、イエス様が舟の方に向かって海の上を歩いてくるではありませんか。弟子たちは疲労と不安でしたので、イエス様を見て恐れました。他の福音書では、弟子たちがイエス様を「幽霊と思ったからだ」と記しています。
しかし、イエス様は弟子たちに声をかけられました。「わたしだ。恐れることはない」弟子たちは、イエス様がそばにいるだけでほっと安心し、喜んでイエス様を舟に迎えました。弟子たちがイエス様を迎え入れ、イエス様が舟に乗り込んでくださると、なんと直ちに嵐は静まり、彼らが行こうとしていた目的の港に着くことができたのです。
神の御子イエス様が共にいてくださる人生、イエス様を心と生活に迎え入れる人生は、たとえ嵐のような人生でも、私たちを望む港に導いてくださるのです。聖書のことばです。「主が嵐を鎮められると 波は穏やかになった。 波が凪いだので彼らは喜んだ。 主は彼らをその望む港に導かれた」(詩篇107篇29~30節)
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