主を求めよう

出演者
山本義武(福井自由キリスト教会 牧師)
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 一歩踏み出したいとき

もっと詳しく見る

アップロード日
2023.10.28
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] イザヤ書 55章6節
放送日
2023.10.28

いいね登録

     登録数:10

いいねリストを見る

「世の光」の時間です。福井県福井市にある、福井自由キリスト教会の牧師、山本義武です。
私たちは、困った時や、悩みの時に、人に聞いてもらったり、人を頼りにしたりすることがあると思います。会社なら、上司や同僚、家庭なら親、兄弟、また親しい友人などに、自分の思いを打ち明けて、心のうちを聞いてもらうことがあるでしょう。また、相談する相手が誰もいない時や、このことは誰にも相談できないという内容もあると思います。
昔から、困った時の神頼みとはよく言われるもので、困った時に、神に願う、ということも多いのではないでしょうか。多くの日本の方々は、新年などに「どうか良い年となりますように」と神にお願いをします。商売繁盛、無病息災、家庭円満、合格祈願、交通安全など多くのことを神に求めるのです。聖書の神は、もちろん私たちの祈りを聞いて下さる神です。ですから、神にお願いしても、神に求めても良いのですが、今日は、「神に求める」だけでなく、さらに言うならば、「神を求める」ことが大切だということです。
聖書のことばをお読みします。イザヤ書55章6節「主を求めよ、お会いできる間に。呼び求めよ、近くにおられるうちに」
主と言うのは、神様のことですが、神は、私たちに、神というお方、神ご自身を求めなさい、お会いすることのできるうちに、神が近くにいるうちに求めなさい、と言われます。何か特別な場所などに行かなければ、神などいないのではないか、神なんて、ずっと向こう側にいるのではないか、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、聖書の神は、お会いしようと思えば、いつでも会うことができる。しかも、「あなたの近くにいるのだぞ」というのです。隣に人が来たとしましょう。近くに来ても、声をかけなければ、無関係のままです。しかし、声をかければ、その人との関係が生まれます。神は、目には見えません。しかし、私たちが祈る時、神を求める時、その祈りは、その求めは、お互いを確認し合うことにつながります。
今日、ただ神にお願いごとをするだけではなく、お会いすることのできる神を求めてみませんか。

コメント

番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。

コメントを投稿する

お問い合わせ