ルカの福音書 138

出演者
大嶋重徳(鳩ケ谷福音自由教会 牧師)
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 人を許すことが出来ないとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2023.10.13
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 章
放送日
2023.10.13

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
今週、私たちはルカ福音書からイエス様の「あなたの敵を愛しなさい」ということばを学んできました。
 「愛する」ということを始めていく時、愛は私たちのいつも見えているものと違うものを見させてくれます。愛はあなたの大嫌いな人にも「この人なりの良いところがあるのではないか」という想像力をもたらしてくれます。聖書に愛がこのように説明されています。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人を妬みません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、いらだたず、人のした悪を心にとめず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。」
 愛することを決めた時、愛は愛せないその人に寛容になることへと導こうとします。すると、敵だと思っていた人の、そうならざるを得なかった人生の理由を想像しようと思っていくことへ導かれていきます。親の愛もそうです。子どもの頃は「親のくせに」「親なのに」と親を裁き、親をののしりました。しかし、自分の親には自分の親から愛されなかった人生があり、愛することの下手になってしまった人生があることを知っていきます。その親の悲しみに寄り添い、自分に何が出来るのだろうかということを想像することも、家族を「愛する」ことの決断です。神様の眼差しでその人を見た時に、その人なりの別の理由、別の物語が見えてくるのです。その人がそうせざるを得なかった、人生がある。その人も孤独であった。病気があり、不安だった。悲しい人生が見えてくるのです。もちろんそれらの事情があるからと言って、自分を憎んで良い理由にはなりません。
しかし「愛する」と決めた時に自分を憎んでくる者の弱さ、悲しみ、罪深さに同情しておられる神の眼差しも見えてくるのです。さらに自分の側にこそ問題があったのではないか、自分の高慢さをも顧みることが出来るようになります。神の愛は忍耐の愛です。我慢の愛です。その愛で私たちが愛せない人を見ていく時、私たちに愛せるようになる想像力を神様は私たちにくださるのです。

コメント

中野周治
『私はイエス様の十字架での苦しみの故に信仰によって罪赦され救われています!その同じ愛で私の隣人の事も神様は愛しておられます!』『必要なのは忍耐です!』

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