力ある証し

出演者
板倉邦雄
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2023.09.22
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 5章36~38節
放送日
2023.09.22

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「力ある証し」という題でお話しましょう。
さて今日は、ヨハネ5章36~38節です。まず36節を口語訳聖書でお読みします。「しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある。父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている」とイエス様は言われました。「今わたしがしているわざ」とは、神殿境内にあるベテスダの池のほとりで、38年間、病気のために悩み苦しんでいる人を「起きて、あなたの床をたたんで、そして歩きなさい」と言われてイエス様が癒やした働き・業のことです。この業こそ、父なる神が、イエス様をこの世に遣わした証しでなくて何でしょうか。
次に37節で、神の子イエスはこう語ります。「また、わたしをつかわされた父も、ご自分でわたしについてあかしをされた。あなたがたは、まだそのみ声を聞いたこともなく、そのみ姿を見たこともない」あとでイエス様は、弟子たちにはっきりと名言しました。「わたしを見た者は、父を見たのです」(14章9節)「わたしと父なる神は一つである」と断言しているのです。ですから、神の子イエス様の声とことばは、父なる神様の声であり、ことばでした。
そして、イエス様は人々にこう言われます。38節「また、神がつかわされた者を信じないから、神のみことばはあなたがたのうちにとどまっていない」今、人々の前に、顔のある父なる神様がいます。自分たちと同じ声とことばをもって語っているのです。しかし、人々は神の子イエス様を信じて受け入れようとはしませんでした。ですから、神のことばは、人々の心と生活の中にとどまることはなかったのです。
私たちは、父なる神の姿を見たことも、父なる神のみ声を聞いたこともありません。しかし、私たちは、人となられ、顔や手をもっておられる神の子イエス様の力ある証しと働きと、そしてことばを通して、父なる神を発見し、神のことばが私たちの心と生活にとどまることができるのです。

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