あなたは休んでいますか?5

出演者
豊田信行
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき

もっと詳しく見る

アップロード日
2023.05.26
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] エレミヤ書 29章11節
放送日
2023.05.26

いいね登録

     登録数:1

いいねリストを見る

「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。ニューライフキリスト教会牧師の豊田信行です。今日もご一緒に安息について学びたいと思います。
安息日は、金曜日の日没から始まります。ユダヤの時間概念では、一日は日没から始まるのです。「えっ」と思われる方もおられるでしょう。一日の始まりは朝と決まっている。別に誰かが決めたわけでありませんが、自然とそうなっています。
聖書の創世記には、神様が天地万物を6日間で創造されたことが記されています。神様がその日、その日の創造の働きを終えられたとき、「夕があり、朝があった。」と一日の終わりがつけられています。最初、この聖書の箇所を読んだとき、「朝があり、夕があった。」の間違いではないかと思いました。でも、間違いではないのです。一日の始まりが朝なら、活動から始まります。日没なら、休息から始まります。
普通に考えると活動して疲れたから休むのであって、疲れていなければ、そもそも休む必要がありません。なぜ、疲れてもいないのに休息から始めなければならないのでしょうか。聖書が約束する安息とは、疲れたから休むものではないのです。
「人事を尽くして天命を待つ」ということわざがあります。自分にできることすべてを出し尽くしたら、あとは天命、宿命に身を任せるとの意味です。しかし、望ましくない結果が出た時、その結果を天命、宿命として受け入れることができるでしょうか。「自分の努力が足りなかった」「もっと頑張れば良かった」と悔やみ、自分を責めたりしないでしょうか。
旧約聖書の預言者エレミヤは、「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている-主のことば-。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」と神様からのメッセージを語りました。
聖書が日没を一日の始まりとするのは、神様は、一人ひとりに将来と希望を与える計画をしっかりと立ててくださっていることに、まず心を留めるためです。私たちは偶然の産物ではないのです。そして、たとえ望ましくない結果が出たとしても、それでも神様の計画は変わらず、将来と希望を与えてくださることを覚える時、約束された安息をいただけるのです。ぜひ、あなたの人生にも素晴らしい計画を立ててくださっている神様を心にお迎えしていただきたいと思います。あなたの人生には将来と希望があるのです。

コメント

番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。

コメントを投稿する

お問い合わせ