神を勘定に入れて生きる
- 出演者
- 福井誠
- 制作
- PBA太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 不安や恐れを感じているとき
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- アップロード日
- 2023.04.26
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[旧約聖書] 箴言 16章1節
- 放送日
- 2023.04.26
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」日々、聖書を手に取り、心の糧とするなら自然に養われてくるものがあるものです。
今日は「神を勘定に入れて生きる」と題してメッセージをいたします。はじめに聖書のことばをお読みします。
「人は心に計画を持つ。しかし、舌への答えは主から来る。」旧約聖書 箴言16章1節
箴言は10章より、二つで一つの格言を集めた形になっていますが、それは単なる人間社会の知恵を語るのみならず、次第に「主」「神」ということばを織り交ぜて、「主」つまり神との関係が私たちの生活の幸せの基本であることを言おうとしています。
例えば、1節に「人は心に計画を持つ。しかし、舌への答えは主から来る。」つまり、人は計画を立てるが、その結果は神様次第だと言うのです。普通、人はこのようには考えないものでしょう。「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」と、人間の弱さよりも強さを信じようと考えます。神様に簡単に頼るなど、弱い人間、考えの足りない人間がすることぐらいに思っているのではないでしょうか。
しかし、コロナ禍が起こって間もなくのこと。ある老人が、朝5時頃、神社で手を合わせて祈っている姿を見ました。そういえば、3.11の東日本大震災の時にも同じような光景がありました。コロナ禍の脅威にさらされた2019年以降、やはり人間の限界をまざまざと教えられ、こうした神仏に祈らなければ乗り越えられない気持ちに至るというのは、よく理解できるものです。
確かに、人は計画し、その通りに行動し、目標を達成しようとしますが、必ずしもそれが、思うように進むわけではないでしょう。想定外のことはいくらでも起こるもので、自分の力を超えた脅威に、神の助けを必死に祈りながら立ち向かう。そして、物事をやり遂げた時には、「私ではない。天来の助けがあったからこそ。」と謙虚な思いになることはあるものです。であればこそ人生はそのようなものだと、あらかじめ神を勘定に入れて歩むことに勝るものはありません。
では、今日もよき一日となるように祈ります。
今日は「神を勘定に入れて生きる」と題してメッセージをいたします。はじめに聖書のことばをお読みします。
「人は心に計画を持つ。しかし、舌への答えは主から来る。」旧約聖書 箴言16章1節
箴言は10章より、二つで一つの格言を集めた形になっていますが、それは単なる人間社会の知恵を語るのみならず、次第に「主」「神」ということばを織り交ぜて、「主」つまり神との関係が私たちの生活の幸せの基本であることを言おうとしています。
例えば、1節に「人は心に計画を持つ。しかし、舌への答えは主から来る。」つまり、人は計画を立てるが、その結果は神様次第だと言うのです。普通、人はこのようには考えないものでしょう。「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」と、人間の弱さよりも強さを信じようと考えます。神様に簡単に頼るなど、弱い人間、考えの足りない人間がすることぐらいに思っているのではないでしょうか。
しかし、コロナ禍が起こって間もなくのこと。ある老人が、朝5時頃、神社で手を合わせて祈っている姿を見ました。そういえば、3.11の東日本大震災の時にも同じような光景がありました。コロナ禍の脅威にさらされた2019年以降、やはり人間の限界をまざまざと教えられ、こうした神仏に祈らなければ乗り越えられない気持ちに至るというのは、よく理解できるものです。
確かに、人は計画し、その通りに行動し、目標を達成しようとしますが、必ずしもそれが、思うように進むわけではないでしょう。想定外のことはいくらでも起こるもので、自分の力を超えた脅威に、神の助けを必死に祈りながら立ち向かう。そして、物事をやり遂げた時には、「私ではない。天来の助けがあったからこそ。」と謙虚な思いになることはあるものです。であればこそ人生はそのようなものだと、あらかじめ神を勘定に入れて歩むことに勝るものはありません。
では、今日もよき一日となるように祈ります。