サマリアを通過しなければ

出演者
板倉邦雄
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2023.01.17
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 4章
放送日
2023.01.17

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「サマリアを通過しなければ」という題でお話いたしましょう。
私たちの人生には、どうしてもしなければならない時があります。イエス様もサマリアを通過しなければならなかった時がありました。今日から、いよいよヨハネの福音書4章に入ります。
さて、イエス様が洗礼者ヨハネよりも多くの弟子を作り、またバプテスマ(洗礼)を授けておられるという噂が、当時の宗教指導者パリサイ派の人々の耳に入りました。イエス様はユダヤ地方を去って故郷のガリラヤへ行かれる決心をしたのです。おそらく、不必要な摩擦を避けるためだったのではなかったでしょうか。
私たちもできる限りすべての人と平和に過ごしたいものです。しかしながら、イエス様の一行はサマリアを通過しなければならなかったのです。
歴史的には紀元前721年まで、サマリアは北イスラエル王国の都でした。南ユダとは兄弟の仲でしたね。しかし、北イスラエルのサマリアの都は、アッシリア帝国の侵略によって陥落し、北イスラエルの人々は離散して行くことになります。その後、北イスラエルの国土には異邦人たちが移植して多くの外国人が住みついたことになります。その時以来、サマリア人とユダヤ人との間には交流がなくなり、犬猿の仲になってしまいました。ですから、ユダヤ人の旅行者たちは、わざわざサマリアを避けて旅をしたのです。しかし、今回、イエス様一行はサマリア地方を通過しなければなりませんでした。そして、イエス様一行はサマリアのスカルという町においでになったのです。
このスカルの街は、イスラエル民族の先祖ヤコブが11番目の息子ヨセフに与えた土地の近くにありました。そこには、ヤコブの井戸が掘ってあったのです。イエス様は旅の疲れを覚えてヤコブの井戸のそばに座っておられました。時は昼の12時です。
さて、なぜイエス様の一行がサマリアを通過しなければならなかったのでしょうか。その目的と意味は明日分かります。
ところで、私たちの人生の歩みの途中で偶然ということはありません。ですから、私たちはすべての道で父なる神様を認めてゆくのです。そうすれば、父なる神様が私たちの道をまっすぐにしてくださるのです。

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