蒔かれた種

出演者
関根弘興
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2023.01.09
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 13章
放送日
2023.01.09

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
今週はイエス・キリストが話された、「たとえ話」からお互いの人生を考えていきましょう。種を蒔く人がいて、種蒔きをしたという話です。
かごの中の種を手で掴んで蒔いていくわけですね。すると、ある種は道ばたに、またある種は岩地に、またある種は茨の中に落ちました。これではどれも実を結ぶことはできませんね。しかし、良い地に落ちた種は多くの実を結びました。こういう、誰もが簡単に理解出来る話をしたのです。
イエス様は、このたとえの話の中で「良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて悟る人のことです。本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」こう言われました。
ここで「みことばを聞いて悟る人」これは一体どういう人のことでしょう。これは、「合点する」という意味なんです。以前テレビ番組で「ためしてガッテン」という番組がありましたよね。説明を聞いて「なるほど」と思った人が丸いボタンを押すと、「ガッテン、ガッテン」という声が聞こえてくるわけです。つまり、ここでいう「悟る」とは、イエス様のことばを聞いて「なるほど」とうなずいてガッテンすることなんです。
でも、そのテレビ番組を見ても分かるように、ガッテンしている人が深い専門的な知識を持っているわけではありませんよね。ただ聞いたことを「なるほど」と受け入れたらガッテンするわけです。それと同じで、私たちも聖書を全部は理解していなくても、その時々に語られたみことばに合点することはできますね。
良い地に蒔かれた種。それはみことばを聞いてそれを悟る人のことを表しているのです。先ほどもお話したように「悟る」とは、合点して受け入れることです。そして、そういう人は豊かな実を結ぶことができるというわけです。
でも、ここで問題が出てきますよね。皆さんは、正直に自分自身の心を見たとき、自分の心は良い土地だと自信を持って言えるでしょうか。道端のように固かったり、岩地のようであったり、茨が生え放題になっているような心だと思うことがありますよね。
でも、安心してください。初めから良い土地である人など一人もいないのです。みんな荒野のような心の持ち主なんですね。大切なのは、そんな荒れ地をどのように良い地に変えていくかということです。自分自身の努力や修行で変えられていくのでしょうか。そうではありません。私たちの岩地のような雑草だらけの固く、頑なな心を耕して良い地にしてくださる方がおられます。その方こそイエス・キリストです。

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