涙を拭ってくださるクリスマス

出演者
大嶋重徳
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 死や命について考えているとき
  • 病気のとき
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき
  • クリスマス

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アップロード日
2022.12.21
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの黙示録 21章
放送日
2022.12.21

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クリスマスおめでとうございます。鳩ヶ谷福音自由教会牧師の大嶋重徳です。
クリスマスは神の子キリストが赤ちゃんとなって、この世界に来てくださったことを祝う日です。キリストは、2000年前にすでに十字架で死なれ、復活され、天に昇られたと聖書は語ります。しかし、聖書はさらにもう一度イエス・キリストがこの地上にいらっしゃることを語ります。
初代の教会は「マラナ・タ(主よ、来ませ)」 イエス様が再びこの地上にいらっしゃる時を待ち望んだのです。クリスマスの喜びが再び地上に訪れるのです。私たちは、クリスマスを過ごしながら、今年一年のことを振り返ります。神様がおられるのであれば、どうして?と思うことがたくさんありました。家族を突然に天に送った方もいらっしゃるでしょう。突然の病気が襲う。理解できない人生の不条理に戸惑い、神がともにおられるとは到底思えないと思ってしまうことに心が奪われていきます。
しかし、聖書の黙示録では、やがて、新しい天と新しい地において、私たちは神様と顔と顔を合わせ、花嫁のごとくに親しく神と出会うと聖書は語ります。神様から「ずっと待っていたよ。」「ここまでよくやったね、お疲れ様。」「本当によく頑張ったよね。」「ずっと見ていたよ」とイエス様が大声で迎えてくださるのです。
ヨハネ黙示録を記したヨハネは、パトモス島という島にいました。時代はローマ帝国の教会迫害真っ只中で、キリスト教会は痛みや悲しみ、苦しみにおかれていました。大切な人の死を目の当たりにし、絶望のただ中に立たされていたのです。
ヨハネ牧師の目の前には生きる意味を求める人々がいたでしょう。そこで、ヨハネが目にしたのは人生を終えるその時、私たちの目の前に広がっているのは、真暗闇の空虚な絶望ではない。地上の人生を終えて目を閉じた時に、目に入ってくる光景は新しい天と新しい地だったのです。これまでの人生の光景は過ぎ去って、全くの新しさを神様にヨハネ牧師は見せていただいたのです。
神が人々とともにある、神は人々とともに住む、新しい天と新しい地の新しさは、神が全くともにいてくださる新しさです。私たちが、いまだ経験したことのない新しさが待っている。そこで、私たちは人生の不条理と思っていたことの一つ一つのことをイエス様から説明していただきます。ああ、そういう意味だったのですね。イエス様、そこにもあなたはいてくださったのですね。そう、あなたも受け取る事ができるのです。

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