隣人を自分のように愛すること

出演者
杉本拓哉(江波キリスト教会)
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2022.10.26
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 10章
放送日
2022.10.26

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「世の光」のお時間です。いかがお過ごしでしょうか。江波キリスト教会牧師の杉本拓哉です。聖書は愛することについてたくさんの箇所で物語っています。今日は隣人を自分のように愛することを聖書から聴いていきたいと思います。
イエスは、このことを例え話を用いて語りました。礼拝からの帰り道、ある人が強盗に襲われてしまいます。たまたま礼拝を取り仕切る祭司が通りかかりましたが、律法の中に祭司は「聖くなくてはならない。遺体に触れてはならない。」という規則がありましたので、倒れている人から離れていってしまいました。助けようとしても、もしも途中で息絶えてしまったならば、仕事を失う可能性があったのです。
次に祭司の働きをサポートしていたレビ人が通りかかりました。おそらくこの人は強盗に襲われた人と同じ場所で礼拝をしていたのですが、確実にこの近くに強盗がいることを知ったのです。助けようとした瞬間に自分まで襲われてしまうかもしれません。レビ人も道の反対側を通り過ぎていきます。
今度は旅人であるサマリア人が通りかかります。サマリア人とはこの時代、近くに住んでいるけれども、異なる歴史と文化を持つ他人として距離を置かれていた民族です。しかし、この人は強盗に襲われて倒れ込んだ人を見て、あわれんで手当てをして助け出し、宿屋に連れて行きました。という物語です。
「あわれみ」ということばには相手の痛みを自分の痛みとして共感する自分の内臓が動かされるという意味が含まれています。
強盗に襲われ、いのちが危ぶまれている人を見て、サマリア人は他人事ではいられなくなりました。助けない理由はたくさんあります。それでも倒れているのは、もしかしたら自分だったかもしれない。あなたの痛みは私の痛みだ。たとえ危険な場所でも、宗教的な批判を受けても、目の前の傷つき倒れた人のいのちを救いだすこのサマリア人の姿に、イエス・キリストの心が表されています。
主イエスはいのちを傷つけられた人々に寄り添い、隣人と並べました。まるで自分事の様にあわれみを持っていのちを分かち合っていかれます。ここに愛があります。主は今日も一人ひとりのいのちに寄り添い、隣人となられます。そして、この道を一緒に歩こうと、私もあなたも招かれているのです。今日一日も隣人とともに主のいのちに生かされてまいりましょう。

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