他人との比較をやめて起き上がる

出演者
水谷潔
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 元気をもらいたいとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2022.09.22
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 5章
放送日
2022.09.22

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。今週番組を担当する愛知県にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。
新約聖書のヨハネの福音書5章の前半はベテスダという名前の池が舞台です。その池には「水が動いたとき最初に入った者は病気が癒やされる」という言い伝えがありました。そこにいた38年間病気であった男性はイエス様と出会います。
彼が長く寝床に伏せっていることを知ったイエス様は良くなりたいかと問いかけます。彼は素直に良くなりたいと言うことはできず、こう訴えたのです。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」
彼は自分が一番には池に入れないという事実を、人より劣っているという現実を言い訳にしていました。言い換えるなら、人との比較という寝床に縛られて立ち上がって自らの足で歩もうとはしなかったのです。あの人はできるけど自分はできない、あの人は持っているけど自分は持っていないという現実があります。何をさせてもどこをとっても人並み以上なんて人はいないでしょう。
誰もが人生の中で、自分は劣っているなあという現実に出会います。そこで問われることがあります。それは、その現実を寝床とするかどうかです。劣っている現実があったとしても、比較という寝床から解放されている人にはそれは何の問題にもなりません。劣っている事実が劣等感にならないのです。残念に思うことはあってもあるがままの自分を受け止めることができます。そして、劣った自分のままで神様がその人に与えておられる本来の人生を歩んでいくことができます。
この後、イエス様は彼をほかの人より早く池に入れるようにしたわけではありません。劣っていることを変えるのではなく、彼自身を変えたのです。イエス様が「起きて床を取り上げ、歩きなさい」と語りかけると彼の病は癒やされ、起き上がり、自らの足で歩き始めました。
今もイエス様は人との比較という寝床を取り上げてくださいます。劣ったままの私たちを立ち上がらせてくださいます。ベテスダの池にいた男性のように、このイエス様と出会い、イエス様とともに新たな歩みをしていきましょう。

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