主のことばのとおりであった

出演者
福井誠
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2022.08.29
カテゴリ
聖書・歴史
聖書箇所
[旧約聖書] 列王記第二 24章2節
放送日
2022.08.29

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。「継続は力なり」日々聖書を手に取り、心の糧とするなら自然に養われてくるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日は、列王記第二24章2節 から「主のことばのとおりであった」と題してお話しをします。

「主がそのしもべである預言者たちによって告げられたことばのとおりであった。」

今日から一週間は、私、福井誠が担当します。今日は、第二列王記の24章から見てまいります。なぜ、こんな中途半端なところからと思われる方もおられるかもしれませんが、ウェブ上でパスターまことの聖書通読一日一生をご覧になってこられた方は、ちょうど、今日はこの箇所になるので、続きのお話というわけです。
列王記は、イスラエル王国の興亡を描いた歴史書ですが、そこにはさまざまな人生の教訓や知恵が語られています。興味のある方は、ぜひ教会へ行って聖書をひもとき、聖書の世界の素晴らしさを感じてください。
さて、今日の箇所はイスラエル王国末期、エルサレムが陥落する時のストーリーです。聖書は、イスラエルが滅びたのは彼らの悪のため、神の裁きによると言います。確かに、この時代、イスラエルには神を敬わず、悪政を行う王様が相次ぎました。
けれども、そこで神は悪い王様を切り捨てたのだと考えてはならないのでしょう。「神は愛」とは言うものの、結局、反抗する者はばっさり切り捨てる程度の愛ではないか、ではないのです。神は赦しに富み、いつでも罪人が悔い改めることを待っておられます。
しかし、罪人がその愛を認め、神に向かうことがない限り、神の愛も赦しも起こりえません。つまり、神のことばを拒み、退ける結果として、人は自ら神の裁きを招き、滅びに至るのです。ですから逆に、神を愛の方と認め、神をおいて他に自分を救うものはないと神にしがみつくなら、神の豊かな愛を受けることになります。
神をどのような方と見ていくか。それが人生の幸せの分かれ道だと言えます。
では、今日もよき一日となるように祈ります。

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