ユダヤ人の王としてのキリスト

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 人を許すことが出来ないとき

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アップロード日
2022.08.25
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] テモテへの手紙第一 1章15節
放送日
2022.08.25

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「世の光」の時間です。お元気ですか。岩井基雄です。
イエス・キリストは当時のユダヤのリーダーたちにねたまれ、憎まれ、彼らはキリストの殺害を計画します。それはキリストが神のように人の罪の赦しを宣言し、また、彼らの傲慢の罪を指摘したからです。
実際、キリストは神ご自身ですから、それらは当然のことでしたが、彼らは受け止められず、キリスト殺害を準備していきます。当時ユダヤはローマに支配されていましたから、ユダヤとローマの両方で有罪、死刑判決が出なければなりませんでした。ユダヤ側ではキリストを有罪に出来てもローマでは簡単ではなかったのです。
ローマの裁判の中心は、総督ピラトでした。ユダヤ側の最高法院でキリストを有罪とした彼らはキリストをピラトに引き渡します。その裁判の中でピラトはキリストにあなたはユダヤ人の王なのかと尋ねます。訴えられた理由の一つだったからです。
キリストは否定せず「あなたがそう言っています」と答えます。ピラトの理解は不十分でしたが、キリストは確かにユダヤの真の王として真の平和をもたらすためにこの地に来られたのです。
このあとユダヤ当局者たちは、キリストを有罪にすべく訴え続けます。しかし、キリストは何も答えません。不当な証言にも一切反論せず、父なる神様に委ね、凛として静かに立つキリストをピラトは驚きをもって見つめます。
聖書の別の箇所には、キリストのことばを聞き「真理とは何か」とたずねるピラトの姿も描かれています。最終的にはピラトはキリストに死刑判決を出してしまいます。しかし、ピラトはキリストを十字架にかけるときにその罪状書きに「ユダヤ人の王」と記させ 不思議にも真理を人々に示します。
確かにキリストはユダヤの王、いや、すべての人の王として十字架にかかり、救いの道を開いたからです。
人間の計画や愚かさに妨げられずに、キリストによる罪の赦しの道は確実に成就に向かって進んだのです。
それは私たちの救いの道、いのちの道、神の愛のご計画の成就の道でした。
聖書のことば
「『キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた』ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。」新約聖書テモテへの手紙第一1章15節
キリストはあなたのために死んでくださったのです。

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