ルカの福音書-108 私たちの医者イエス

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 人を許すことが出来ないとき
  • 一歩踏み出したいとき

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アップロード日
2022.08.16
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 5章
放送日
2022.08.16

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
ルカの福音書5章にはユダヤ人の敵、ローマ帝国の手先になっていた取税人レビをイエス様が選ばれた物語が出てきます。しかし、その場所にいたパリサイ人たちは罪人レビを弟子に加え、食事を一緒にするイエス様を非難しました。そこでイエス様が言われたのは「医者を必要とするのは病人だ」ということばです。
一見この「病人」ということばは、取税人である罪人レビを指して言われているように思います。しかし、実際はパリサイ人に向かって語られました。「あなたはそんなことが言えるほどの立派な人間なのか」という問いです。自分の正しさを誇ろうとする時に、必要なのは自分よりも正しくない人との比較です。「あなたの正しさなど、不真面目に生きる人の存在の上に成り立っているのに過ぎないではないか」そのレビを裁く愛の無いことばに、「あなた自身の深い罪は無いのか」とイエス様は問いただされたのです。そして「パリサイ人よ。あなたこそ丈夫な人ではない。あなたこそ正しい人ではない。あなたこそ病人であり、あなたもまた罪人であり、あなたにわたしが必要なのだ」と語られたのです。
私もクリスチャンになって、聖書を読んでイエス様に従っていきたいと思いました。しかし、一向に聖書を毎日読むことが出来ませんでした。そして、落ち込みました。自分が聖書を読めている期間は、真面目に聖書を読まない人を見て蔑んでいました。「あの人は熱心な信仰じゃない」。
しかし、そこで問われたのは、自分は何のためにイエス様を信じているのかということでした。自分の正しさを誇るために信じているのか。自分の熱心さを誇ろうとして、人を裁いているだけではないか。イエス様はおっしゃるのです。「そんな自分で自分の決めたことも出来ないあなたこそ罪人ではないか」そして「そんなあなたのために私は来たのだ」と。
もし私たちが罪を犯さずにいられるのだとしたら、イエス様の力によって変えていただけただけなのです。自分の力ではありません。
それなのに、どうして自分で聖くなったかのように誇るのか。あなたこそ必要なのは罪を抱えているあなたの魂を癒やす医者なのだと。「わたしがあなたを変える。あなたの人生の方向を転換させる。」イエス様は今朝も私たちに語りかけられます。この愛に支えられて、自分を信じるのではなく、神様により頼んでみてはいかがでしょうか。

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