信仰は生きること

出演者
関根弘興
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 一歩踏み出したいとき

もっと詳しく見る

アップロード日
2022.07.01
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヘブル人への手紙 11章1節
放送日
2022.07.01

いいね登録

     登録数:12

いいねリストを見る

「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
今日は最初に聖書のことばを紹介しましょう。ヘブル人への手紙11章1節
「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです」
こんな話を聞いたことがあります。ある植物学者が、数人のシェルパを連れて植物を採取していました。すると断崖絶壁にとても貴重な植物があったのです。彼はなんとかその植物をサンプルとして採取したかったのです。
しかし、どのシェルパもそんな植物のために危険をおかす気にはなりませんでした。すると、ひとりの子どもが「ねえ、僕がとってきてあげるよ」と言いだしたのです。「駄目だよ、まだ子どもなんだから、そんな危険なことはさせられないよ」と学者は断りました。
しかし、その子どもは「大丈夫だよ」と言い続けるのです。そしてこう言いました。「おじちゃん、その植物とってきてあげるけど、一つだけ条件があるんだ。」「なんだい?」「うん、僕の命綱はお父さん以外の人に持たせないでね。お父さんが持っていれば安心さ。」そう言ったというのです。
さて、あなたの人生の命綱を一体だれが握っていますか。それによって安心の度合いはだいぶ変わってきますね。私たちは、信仰ということばを聞くと、どうもなにか宗教的な特殊なことばのように考えてしまいます。
しかし、信仰とは信頼と同じ意味です。私たちはいろいろな情報を信じ、行動しています。つまり、生きることは信じることであり、信じることは生きることなのです。ですから、もし私たちの生活のなかで、信じることが失われていったとき、生きることはとても難しくなっていきます。
たとえば、朝起きて出された朝食を疑ったらどうでしょう。通勤の駅のホームで、電車の時刻を疑ったらどうでしょう。そんなことしていたら、いつまでたっても会社にたどりつきませんね。
聖書が教える信仰とは、思い込みの世界ではありません。聖書のことばを受け入れて、そのことばに委ね、実際に生きていくことなのです。神様はあなたを愛してくださっていると聖書では語っています。ですから、私たちはそれを聞いて「私は愛されている」という安心をもって、生きていくことができるのだなということを、うなずきながら進んでいくことができるのです。
そして、イエス・キリストは救い主なる方であり、私たちの人生を導く方です。ですから、この方が人生の命綱を握ってくださるなら、最も安心ではありませんか。

コメント

番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。

コメントを投稿する

お問い合わせ