私にとっては手ごわすぎる

出演者
福井誠
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき

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アップロード日
2022.06.23
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] サムエル記第二 3章39節
放送日
2022.06.23

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はサムエル記第二3章39節から「私にとっては手ごわすぎる」と題してお話します。

「この私は油注がれた王であるが、今日の私は無力だ。ツェルヤの子であるこれらの者たちは、私にとっては手ごわすぎる。主が、悪を行う者に、その悪にしたがって報いてくださるように。」
昨日は、ダビデがサウルの後継者、つまりイスラエルの王となるのは、そんなに容易いことではなかったことをお話しました。ダビデを取り巻くさまざまな人々の思惑がうごめいていたからです。皆同じ神を信じる人々の間のことなのに、なぜこんな事態が生じるのか、皆で神のみこころに一致して、権力を綺麗に平和裏に移譲できないのはなぜかと思うところです。
しかし、それがやはり罪人の世界の現実なのでしょう。残念なことですが、神を信じる者たちが集まったからと言っても、まるで神などいないかのような、ただ人間的な駆け引きだけが前面にでて物事が進んでいくように思えることがあるものです。つまり、神のみこころは複雑さと混迷が深まる中で、次第に形をなしてくる部分があるのです。
ここではまず、サウル軍の将軍アブネルが、サウルの後継者イシュ・ボシェテを裏切り、ダビデに寝返っています。アブネルは近い将来、ダビデがイスラエルを統一すると読んでいました。そして、ダビデを王にしようとする神のみこころに、積極的に加わっていきます。
しかし、神のみこころはこうしたアブネルの策略がなくても実現しうることでした。ヨアブによるアブネルの暗殺は神のみこころが人間の思惑とは異なるところで動き、実現することを考えさせてくれます。また、アブネルを平気で殺すヨアブのような存在は、ダビデにとって別の意味で脅威でした。
けれども、彼もまた神の手の中にある存在でした。物事が混沌とする、手ごわすぎる事態にあると思う時には、ダビデのように主に委ね、主が物事を整えてくださると信頼したいものです。では、今日もよき一日となるように祈ります。

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