ルカの福音書-95 主よ、お心一つで

出演者
大嶋重徳
制作
PBA太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2022.05.16
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 5章
放送日
2022.05.16

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。鳩ヶ谷福音自由教会牧師の大嶋重徳です。
ルカ福音書を順番に読んでいます。今日の箇所、5章の続きでは、イエスがある町に向かわれた時の出来事が記されています。この町に全身ツァラアトという重い皮膚病の人がいました。彼はイエス様を見るとひれ伏してお願いしたのです。「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」
このツァラアトという皮膚病は、詳しいことはわかっていません。しかし、この病気にかかると、社会的に自分の存在が汚れている状態だとされる、非常に深い悲しみと苦しみの中に置かれていた病でした。人びとの住んでいる居住区から離れて、町の外に住むことを求められ、町の中を歩く場合は「私は汚れている。汚れている。」と言いながら外を歩かないといけませんでした。もし、誰かがこの病気の人に触れてしまうことがあれば、その汚れが移ってしまうと考えられたからです。家族とも離れ離れにされ、家族や周囲の人々の施しを受けながら生活せざるを得ない辛い病気でした。
残酷な社会の仕組みが彼をより一層苦しめていました。彼は「神などいるのか」と何度も思ったことでしょう。家族から切り離される、孤独に生きざるを得ないのです。
すると、うわさが聞こえてきました。夜を徹して、人々を癒すイエス・キリストという存在でした。この噂を聞いた人々が、色々な病気で弱っている者を、イエスという人のところに連れていっている。しかも、イエスは一人ひとりに手を置いて癒やされたと聞こえてきました。
「汚れている」と言わざるを得ない自分のことは触ってはくれないだろう。「触れてはいけない」という罪を犯すことになるから。「でも、イエスという人に会いたい。」「会って話してみたい。」「なぜ、神がいるならこんなことが自分の人生にあるのか聞いてみたい。」そんな思いになったでしょう。そして、彼は人前に出ていくことを決意するのです。そして「私は汚れています。汚れています。」と言いながら、彼は町の中へと入っていきました。
イエス様という存在は、私たちの人生の最後の希望です。どれだけの悲しみの中に置かれても、誰があなたを見捨てたとしても、イエス様だけはあなたを見捨てられない存在です。もし、今日あなたが何の先行きが見えない状況にあったとしても、イエス様という存在はあなたを助けます。あなたを癒やします。あなたを必ず救い出してくださる方なのです。

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