いのちの実を結ぶ|イースターSP

出演者
近藤愛哉(盛岡聖書バプテスト教会牧師)
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 死や命について考えているとき
  • イースター

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アップロード日
2022.04.22
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 15章5節
放送日
2022.04.22

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「世の光」の時間です。盛岡聖書バプテスト教会の近藤愛哉です。
私が住んでいる岩手県は、自然がとても豊かな所です。海があり、川があり、そして山があります。4月になると、長い冬の間に、春の到来を待ちわびていた植物が一斉に芽吹き、やがて花を咲かせます。夏や秋の実りの季節にはたくさんの種類の果物が実ります。私が牧師をしている教会の敷地内にもぶどうの木があり、収穫の季節には甘いぶどうを味わうことができます。
聖書にこんなイエス・キリストのことばがが残されています。「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。」新約聖書ヨハネの福音書15章5節
面白いことに、イエスは、自分と人との関係を、ぶどうの木と枝にたとえているのです。確かに、切り落とされた枝からは、実はなりません。木と枝がつながっているからこそ、いのちが通い実がなります。イエス・キリストを信じ、イエス・キリストとの関係の中に生きる時、私たちは多くの実を結ぶ、と言われているのです。
では、私たちが結ぶ実とは一体何でしょうか?色々な実を結ぶようになる中で、最も大きな実は「いのち」という実です。
人間は、どんな生涯を送ろうとも、やがて誰もが死を迎えます。例外はありません。「死んだら一体どうなるのだろうか?」そんな疑問を抱き、不安や恐れを感じたことはないでしょうか。
これまで私は、牧師として何人もの死にゆく方々と時を過ごして来ました。お年を召された方も、若い方も、イエス・キリストを信じていた彼らは、自分の死が間近に迫っている時にも、確かな希望を抱いていました。それは「死は終わりではない」という希望。神とともに天国、天の御国で生きる「永遠のいのち」が、イエス・キリストを通して与えられているという希望です。
イエス・キリストを信じる時、あなたもこのいのちの実を結ぶようになるのです。

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