死んでも生きる|イースターSP

出演者
佐々木真輝(北上聖書バプテスト教会牧師)
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 死や命について考えているとき
  • イースター

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アップロード日
2022.04.19
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 11章25節
放送日
2022.04.19

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「世の光」の時間です。北上聖書バプテスト教会の佐々木真輝です。
ディケンズというイギリスの作家をご存じでしょうか。ディケンズが書いた「二都物語」という小説があります。フランス革命前後のロンドンとパリを舞台に、顔かたちのよく似た2人の青年と、彼らがともに想いを寄せる女性が織りなす物語です。
ロンドンで自堕落な生活をしていたカートンという青年が、ひとりの女性と出会い心に光を得ます。彼女に心を寄せつつも自分は彼女にふさわしくはないと考え、彼女と彼女が愛した人のために何でもすると心に決めます。やがてパリの友人がその女性と結婚するのですが、フランス革命の嵐の中で断頭台おくりになってしまいます。その時カートンは、顔かたちのよく似た友の身代わりになり、愛する人々を脱出させることを決意し、自らは断頭台に露と消えるのです。そうした中で、青年が繰り返し一つの聖書のことばをつぶやきます。
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」
新約聖書ヨハネの福音書11章25節のことばです。
これから断頭台に向かっていのちを散らそうとしている人が、どうしてこのことばを思い出し、繰り返し口にしたのでしょうか。自堕落で生きる意味をもてなかった青年が、生きる喜びや希望を取り戻させてくれた人のために、友の身代わりとなることによって自分のいのちに意味を見いだせると信じたのです。
私たちは確かに避けられない死に向かっています。肉体的に死に行く者であるというだけでなく、時には二都物語に出てくる青年のように、生きる意味や喜びを見いだせない、心が死んだような者であるかもしれません。
しかし、イエス様はこの聖書のことばを通して、人が死んで終わるのものではなく、死の向こうに復活の希望があることを語ってくださっています。
「死んでも生きるのです」ということばは「いつの日かよみがえる」という未来の話しであるだけではありません。今まさに死に行く者、死んだような者であっても、とことんダメだった人間であっても、イエス様によって今、生きた者とされ、イエス様によって新しく生きる者にされます。イエス様がその復活のいのちを私たちに与えるからです。
さあ、この新しいいのちをあなたもイエス・キリストからいただいて、生きる意味を確信し、生きる喜びにあふれる者として歩み始めませんか。

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