背負ってくださる神|イースタSP

出演者
矢木良雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 不安や恐れを感じているとき
  • イースター

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アップロード日
2022.04.14
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] イザヤ書 63章
[旧約聖書] イザヤ書 53章
放送日
2022.04.14

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「世の光」の時間です。お元気でお過ごしですか。矢木良雄です。
旧約聖書イザヤ書63章には感動的なみことばが記されています。「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、……その愛とあわれみによって、主は……ずっと彼らを背負い、担ってくださった。」
このみことばはその前の53章、私たちの罪の為に主イエスがかかってくださった十字架の予告とも言える「苦しむしもべの歌」と響き合って、私たちの心を熱くします。
以前、東京神学大学の学長をされた神学者の熊澤義宣先生が、ご自分の本にこんな体験をつづっておられるのを読んだことがあります。そのとき先生は心筋梗塞で救急搬送され、集中治療室で絶対安静を命じられていました。酸素マスク、手には点滴の管、胸には心電計のコード、そして尿管挿入です。それほど重篤な状態だったのです。
先生はこんなふうに書いておられます。「全く無力な姿の中に放り出されたそのとき、十字架というものは私たちの手に届かない、何か高いところに輝いているものではない。」ということに目が開かれました。
では一体、十字架ってどこにあるんだろう。「十字架は私が横たわっているこのベッドの下にあるんだ。つまり無力の極み、どん底に身を横たえなければならない私を、そのどん底の一番下のところで受け止めてくれる、それがイエス・キリストの十字架の姿なのだ」それが今まで以上にハッキリと見えてきたのです。
イザヤ書53章に、私たちの救い主が紹介されています。「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。」「その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。」
もう10年以上も前になりますが、大腸がんの手術を受けたとき、熊澤先生の言葉を思い出していました。「ベッドの下にイエス様がおられる。」でも、そのとき思ったのは、「何という固いベッドだ。腰が痛くてたまらない。」でした。なかなか熊澤先生のレベルに達することはできませんでした。
それでも振りかえると、何度も「主はずっと彼らを背負い、担ってくださった」そのことは分かります。
私たちは今日も、背負ってくださるイエス様の背中を感じることができるのです。

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