キリストにある真の平和を求めた-住谷天来

出演者
岩井基雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき

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アップロード日
2022.04.09
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] マタイの福音書 5章9節
放送日
2022.04.09

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「世の光」の時間です。お変わりありませんか。岩井基雄です。
今日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学びましょう。
群馬県にゆかりのあるキリスト者としては、新島襄、内村鑑三、柏木義円が挙げられます。そして、もうひとり挙げるとしたら、今日ともに学ぶ住谷天来です。
明治2年、現在の群馬県高崎市に生まれた住谷天来は、農家の次男として育ちます。学問に興味を持ち前橋の幽谷義塾に学ぶ中、生涯の友となる井上浦造と出会い、2人で前橋のキリスト教会に通うようになり、自分の罪を認め、キリストが自分の為に十字架にかかってくださったことを信じ、信仰を告白し洗礼を受けます。また「上毛青年会」にも参加し、悲しみを通る女性たちを助けたいと廃娼運動にも熱心に参加したのです。平和を求める心は、若い頃から与えられていたのですね。
その後、上京し早稲田と慶応に学びます。卒業後、群馬に帰郷した後は「上毛青年会」の機関誌『上毛之青年』で自己の主張を発表する傍ら、現在の共愛学園につながる、キリスト教主義の学校、前橋の上毛共愛女学校の教師として、聖書を中心とした女子教育に力を入れるのです。
退職後再び上京する中、明治29年27歳の時に、ある大会でキリスト者内村鑑三と出会うのです。そして、盛んに平和を求める自分の主張、特にキリストの愛に基づき、明治36年には、内村主筆の『聖書之研究』に「墨子の非戦主義」を載せ、非戦論を展開していきます。日露戦争の前に、彼が紹介したトルストイの本や生き様は、聖書の教えとともに人々の心に深く届けられていったのです。
再び教師となりますが、明治末期から大正には、群馬の伊勢崎や富岡のキリスト教会の牧師となり、神の愛と平和を語り続けていきました。
当時、軍国主義が強まる日本の中にあって、キリストにある平和を力強く語り続けた教育者、また牧師がいたのです。
キリストのことば
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」
新約聖書 マタイの福音書 5章9節
私たちも悲しみを通る人々に、神の愛に基づく真の平和を届けさせていただきたいと願います。

コメント

泗水
柏木義円をきっかけに論文を書きました。

かつて西の応仁の乱と共に戦国をもたらした洞大乱は 幕末 そっくり北日本に再現されたのである。洞の盟主は伊達・上杉のままである。儒家諸流が交錯する長岡に親しい柏木義円は 星野恒の私塾から経史を修め、安中で政治批判を始めた。星野も物語storyを排した実証史学を開拓する。
国体明徴が叫ばれる昭和10年、義円は引退、先任弾正の翌年 亡くなる。片野真佐子によれば、高畠素之(前橋士族)の全訳『資本論』は義円の蔵書に溯るという。『柏木義円』ミネルヴァ書房2023年p.99。新旧 知の十字路の感があり、宗教・言語が交絡する中欧のボルツァノBolzanoらを想起させる。京都から伊藤東岸を迎えた長岡は立命館に先駆けた古義派の正嫡である。義円は近隣関係に埋没した仁斎の町衆思想を懐かしみつつ 列強しのぎ削る近代経済に目を向けたのである。
      …

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