ルカの福音書-91 お言葉通りに

出演者
大嶋重徳
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 眠れないとき

もっと詳しく見る

アップロード日
2022.03.09
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ルカの福音書 5章
放送日
2022.03.09

いいね登録

     登録数:5

いいねリストを見る

「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
ルカ福音書を順番に読んでいます。イエス様は一晩魚の捕れなかった漁師のペテロに「深みに漕ぎ出して網を下ろしなさい。」と言われ、ペテロは「でもおことばどおりに」と従いました。
どうしてペテロはこの「でも」と言うことが出来たのでしょうか?それはシモン・ペテロが、舟を漕ぎ出してイエス様が群衆に教えられる「イエス様のことば」を、誰よりも近くで、イエス様の側で聞いていたからです。揺れる小舟の上で、イエス様の群集を見つめる眼差しを見ていました。「この方の語られることばは、今まで自分の考えていたことと何かが違う。」「このことばは信頼しうる。」と思わせるみことばの経験をしていたのです。ペテロはこのときまでに、イエス様のことばのすぐ側にいたのです。これが「でもおことばどおりに」と告白が生まれた理由です。
さらにイエス様が「深みに漕ぎ出せ」と語られ、ペテロは「おことばどおりに」と応答したのは、ペテロのイエス様への「祈り」とも言えるでしょう。「でも」という信仰を形作るものは、「祈り」の生活です。祈りでいつも神様に私たちは言うのです。「私には色々なことがあります。」「あれもこれもあって大変なんです」と、「祈り」で私たちの抱えている現状をイエス様に聞いてもらう。
そして祈りにおいてこそ、私たちは「でもおことばどおりに」という大逆転を信じる信仰が形成されていくのです。祈りを始めた時はまだ信じることができていないでしょう。しかし祈り始める時、私たちはこの私たちの「深くて深くて闇のように見える深み」の先の先には、必ず「おことばどおりに」と言える、そんな日が来るのではないかと願いながら祈りを始めているのです。
いくら私たちにやる気があって、華やかに何かをすることが出来たとしても、やがて人間的にはそのやる気もなくなってしまうということがあります。しかし祈りとみことばの時間が、私たちに大逆転の「でも」を形成していってくれるのです。神のことばと祈りの近くにあなたの生活はあるでしょうか。あなたが今日、疲れ果ててしまっていて、やる気を失っているならば、先ずはペテロのようにイエス様のことばの直ぐ側に行きましょう。そこで静かに祈り始める時、あなたのなかにも必ず「でもおことば通り」という祈りが自然と生まれていきます。

コメント

番組に対するコメントはまだありません。ぜひ感想をお願いいたします。

コメントを投稿する

お問い合わせ