光について証しする人

出演者
板倉邦雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 不安や恐れを感じているとき
  • 孤独や悲しみを覚えるとき
  • 病気のとき

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アップロード日
2022.02.28
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] ヨハネの福音書 1章6~8節
放送日
2022.02.28

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。板倉邦雄です。今日は「光について証しする人」という題でお話しいたしましょう。
「光」とは、この暗き世に来られたイエス・キリストのことです。ここに、一人の人が紹介されます。
ヨハネの福音書1章6節~8節です。この「一人の人」とは神から遣わされ、その名は「ヨハネ」と言いました。このヨハネの福音書を書いたヨハネではありません。イエス・キリスト誕生の半年前に生まれた洗礼者ヨハネのことです。この洗礼者ヨハネは、自分からでも人からでもなく、神からこの世に遣わされました。
私たちすべての人間は、神によってこの世に生まれ、その人なりの使命と目的をもってこの世に置かれているのです。
では、洗礼者ヨハネの、この世に遣わされた目的は何だったのでしょうか。こう書かれています。「この人(ヨハネ)は証しのためにきた。光について証しをし、彼によってすべての人が信じるためである。」7節にあります。
この人(ヨハネ)は、この世の光としてこられたイエス・キリストの証人となるために、この世に生まれ、遣わされました。すべての人が光であるイエス・キリストを見上げ、信じて、永遠のいのちを得るためだったのです。
私は高校2年生の秋に、初めてキリスト教の高校生だけの集会に行きました。そこで私は同じ高校生から、主イエス・キリストについての話しを聞かされたのです。高校生の証し、証言を聞いて、私はイエス・キリストを「私の救い主」と信じることができたのです。
洗礼者ヨハネは光ではありませんでしたが、「ただ光について証しするために来たのだ」と8節で言われています。
例えるなら、イエス・キリストは光り輝く太陽です。洗礼者ヨハネは、夜空に輝く月でした。月は自分で光り輝くことはできません。しかし、太陽の光を受けて、優しく夜空に輝くことができました。
ですから、私も、そしてラジオを聴いているあなたも、光であるイエス・キリストの光を受けて、この暗き世の一隅を照らす光となることができるのです。
イエス様は、弟子たちに励ましのことばを語りました。「あなたがたは世の光です。」「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。」マタイの福音書5章14節、16節です。

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