声はヤコブ、手はエサウ

出演者
山本陽一郎
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min
タグ
  • 疲れているとき
  • 人を許すことが出来ないとき

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アップロード日
2022.01.19
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[旧約聖書] 創世記 27章
放送日
2022.01.19

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「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。山本陽一郎です。 
「なりすまし」ということばを耳にしたことはありますか?インターネット上で第三者が別人になりすまして不正行為をすることです。
旧約聖書の創世記にも、もちろんネットはまだ無い時代ですが、なりすました人が出てきます。ヤコブです。
ある時、ヤコブが料理をしていると兄のエサウが腹ぺこで帰ってきました。煮物を欲しがる兄にヤコブは取り引きを持ちかけます。「長子の権利を私に売ってください」と。
長子の権利とは、ひとことで言えば、長男だけに与えられる神の特別な祝福でした。財産の相続分が弟の2倍になるほか、様々な祝福があったのです。全く釣り合わない大事な特権なのにエサウはそれを軽んじ、なんと煮物を選ぶのでした。
時が流れ、父のイサクが祝福を授ける時がいよいよやって来ました。創世記27章には、その一部始終が書かれています。ヤコブを偏愛する母リベカが彼に入れ知恵をしました。「目がかすんで見えない父上を騙して、祝福を横取りしなさい」と。ヤコブはエサウが猟に出た隙に、エサウの衣を着て、子やぎの毛皮を自分に巻きつけました。毛深い兄になりすましたのです。そして父のところへ行き、「お父さん」と言いました。
 「おお。おまえはだれかね、わが子よ」
 「長男のエサウです。…私を祝福してください。」
 ヤコブが父イサクに近寄ると、イサクは彼にさわり、そして言った。
 「声はヤコブの声だが、手はエサウの手だ。」
イサクは何となく怪しいとは思いながらも、まんまと騙され、弟のヤコブに長男の祝福を与えてしまいました。後で分かっても、時すでに遅し。騙された父の悲しみ。そして、奪い取られた兄の憎しみ。結果的にヤコブは家を追われることになります。
ただ、エサウが目の前の快楽を求めて生きていたのに対し、ヤコブは長子の特権と神の祝福をいつも望んでいました。そして、神の手によってここから大きく変えられていきます。祝福は奪い取るものではなく、神から与えられるものだと学んでいくのでした。
神はすべてのことを用いて、ご自身のご計画を進めていかれます。人知を超えて働かれる神に導かれて、私たちも一歩一歩進んでいきたいものです。

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