目を覚ましていなさい
- 出演者
- 岩井基雄
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 不安や恐れを感じているとき
- 死や命について考えているとき
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- アップロード日
- 2021.11.25
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] マルコの福音書 13章31-33節
- 放送日
- 2021.11.25
「世の光」の時間です。お変わりありませんか、岩井基雄です。木曜日と金曜日は、マルコの福音書から学びましょう。今日は心の目を覚まし、見るべきものを見る祝福についてです。
秋の深まりを覚えるなか、人生の秋や人生の終盤を考えることがありますね。新型コロナの影響は今なお続き、また世の終わりを意識させるような事柄も世界にあり、不安や恐れを抱くこともあります。しかし、それは約2000年前のイスラエルも同じでした。世の終わりを意識する事柄や、出来事が彼らの生活の中にあったのです。
しかし、それに対してキリストはこう応えました。「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。父だけが知っておられます。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたは知らないからです。」新約聖書マルコの福音書13章31~33節。
「天地が消え去る」この表現には少し驚きますね。しかし、世に終わりがあることを聖書は語ります。けれども、その日がいつなのか御使いもキリストも知らないのです。まして私たちが知ることなどできません。ですから、いつ終わりがこようと、私たちの人生の終わりが訪れようと、私たちは慌てず、恐れずに、目を覚まして心の準備をしておく必要があるのです。突然の事故や災害、重い病などを経験することもあるでしょう。しかし、私たちはそのただ中でも、豊かに生きることができるのです。
不安や恐怖が私たちを襲っても心配する必要はありません。たとえ天地が消え去っても、決して消え去ることのない愛なる神様のことば、キリストのことばに生かされる祝福が、すべての人に備えられているからです。
どんなときに、終わりを迎えても、悠然と生きる歩み、それは神様の永遠の愛、無条件の愛と希望、豊かな平安と勝利に生かされていくその歩みです。キリストによる永遠のいのちと罪の赦しという永遠の救いを受け取って、決して消え去ることのない神のことばによって生かされていく日々をあなたも歩みだしていきませんか。目を覚まして歩む歩みは、神のみことばとともに歩む豊かな人生なのです。
秋の深まりを覚えるなか、人生の秋や人生の終盤を考えることがありますね。新型コロナの影響は今なお続き、また世の終わりを意識させるような事柄も世界にあり、不安や恐れを抱くこともあります。しかし、それは約2000年前のイスラエルも同じでした。世の終わりを意識する事柄や、出来事が彼らの生活の中にあったのです。
しかし、それに対してキリストはこう応えました。「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。父だけが知っておられます。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたは知らないからです。」新約聖書マルコの福音書13章31~33節。
「天地が消え去る」この表現には少し驚きますね。しかし、世に終わりがあることを聖書は語ります。けれども、その日がいつなのか御使いもキリストも知らないのです。まして私たちが知ることなどできません。ですから、いつ終わりがこようと、私たちの人生の終わりが訪れようと、私たちは慌てず、恐れずに、目を覚まして心の準備をしておく必要があるのです。突然の事故や災害、重い病などを経験することもあるでしょう。しかし、私たちはそのただ中でも、豊かに生きることができるのです。
不安や恐怖が私たちを襲っても心配する必要はありません。たとえ天地が消え去っても、決して消え去ることのない愛なる神様のことば、キリストのことばに生かされる祝福が、すべての人に備えられているからです。
どんなときに、終わりを迎えても、悠然と生きる歩み、それは神様の永遠の愛、無条件の愛と希望、豊かな平安と勝利に生かされていくその歩みです。キリストによる永遠のいのちと罪の赦しという永遠の救いを受け取って、決して消え去ることのない神のことばによって生かされていく日々をあなたも歩みだしていきませんか。目を覚まして歩む歩みは、神のみことばとともに歩む豊かな人生なのです。
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