ルカの福音書-70 十字架によってやり直せる
- 出演者
- 大嶋重徳
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 疲れているとき
- 不安や恐れを感じているとき
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- アップロード日
- 2021.07.24
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ルカの福音書 4章
- 放送日
- 2021.07.24
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。今週の箇所では、イエス様が荒野で悪魔の誘惑にあわれた話が出てきます。イエス様の悪魔との戦い方、それは、みことばによる戦い方でした。
私は牧師として、日曜日、礼拝に来られない教会の方のために、オーダー制で、早朝礼拝を日曜の朝、早くにすることがあります。教会の中学生が、部活があると、7時に早朝礼拝を出てから、彼らは学校に向かって行きます。模擬試験のある高校生も、「朝5時から早朝礼拝をお願いします。」と声をかけてくれます。こんなに早く起きて、礼拝に出なくていいんじゃないか。そんな思いもするのだと思います。しかし、そこにも16歳の信仰の戦いがあります。そして、その信仰の戦いに、牧師として全力で力になりたいと思っているのです。
悪魔は、決して黒くて、しっぽがついてて、槍を持っているわけではありません。一見、悪魔とは思えない、へりくだった様子で近づいてきます。そして、その誘いに乗ることも、そんな悪くない選択であるように見えてくるのです。しかし、私たちはその誘惑に負けていくならば、あっという間に悪魔の虜になっていきます。私たちは、聖書のことばの守りが必要なのです。
来週も私たちは、荒野に向かっていきます。そこで、神様から離れようとする力、離れさせようとする力に出会うでしょう。しかしそこで、イエス様の戦い方のように、神のことばを口にする戦いをしましょう。お腹が減りすぎて、怒りに溢れそうになった時、急いで何かを口に放り込みながら、神様のことばに生きる決意をしましょう。神を神とする戦いに挑みたいと思います。もしそこで敗北しても大丈夫です。十字架は、敗北のためにあるのですから、もう一度やり直すのです。
「お前は、クリスチャンとしてふさわしくない。それでも神を信じているのか」という心の声が聞こえてきたとしたら、そこでこそもう一度、神様の声を聞いてください。聖書はいつもあなたに、こう語ります。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」この声を、イエス様が聞いたのも荒野でした。荒野のヨハネから洗礼を受けられた、それも荒野で神のことばに生かされたのです。
私たちは、一週間の荒野の生活があったとしても、このことばを思い起こしたいと思います。「あなたはわたしの愛する子。」「あぁ、私は、神様に愛されている。」このみことばの事実に立っていきましょう。そして神のことばが、皆さんの一週間を確かに守ってくださるように、私は皆さんのためにお祈りします。ぜひ、皆さんも私のために祈ってください。
私は牧師として、日曜日、礼拝に来られない教会の方のために、オーダー制で、早朝礼拝を日曜の朝、早くにすることがあります。教会の中学生が、部活があると、7時に早朝礼拝を出てから、彼らは学校に向かって行きます。模擬試験のある高校生も、「朝5時から早朝礼拝をお願いします。」と声をかけてくれます。こんなに早く起きて、礼拝に出なくていいんじゃないか。そんな思いもするのだと思います。しかし、そこにも16歳の信仰の戦いがあります。そして、その信仰の戦いに、牧師として全力で力になりたいと思っているのです。
悪魔は、決して黒くて、しっぽがついてて、槍を持っているわけではありません。一見、悪魔とは思えない、へりくだった様子で近づいてきます。そして、その誘いに乗ることも、そんな悪くない選択であるように見えてくるのです。しかし、私たちはその誘惑に負けていくならば、あっという間に悪魔の虜になっていきます。私たちは、聖書のことばの守りが必要なのです。
来週も私たちは、荒野に向かっていきます。そこで、神様から離れようとする力、離れさせようとする力に出会うでしょう。しかしそこで、イエス様の戦い方のように、神のことばを口にする戦いをしましょう。お腹が減りすぎて、怒りに溢れそうになった時、急いで何かを口に放り込みながら、神様のことばに生きる決意をしましょう。神を神とする戦いに挑みたいと思います。もしそこで敗北しても大丈夫です。十字架は、敗北のためにあるのですから、もう一度やり直すのです。
「お前は、クリスチャンとしてふさわしくない。それでも神を信じているのか」という心の声が聞こえてきたとしたら、そこでこそもう一度、神様の声を聞いてください。聖書はいつもあなたに、こう語ります。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」この声を、イエス様が聞いたのも荒野でした。荒野のヨハネから洗礼を受けられた、それも荒野で神のことばに生かされたのです。
私たちは、一週間の荒野の生活があったとしても、このことばを思い起こしたいと思います。「あなたはわたしの愛する子。」「あぁ、私は、神様に愛されている。」このみことばの事実に立っていきましょう。そして神のことばが、皆さんの一週間を確かに守ってくださるように、私は皆さんのためにお祈りします。ぜひ、皆さんも私のために祈ってください。
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