旅人よ、天の故郷を目指せ!
- 出演者
- 原田憲夫
- 制作
- PBA 太平洋放送協会
- 再生時間
- 5min
- タグ
-
- 愛する人を失ったとき
- 死や命について考えているとき
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- アップロード日
- 2021.06.05
- カテゴリ
- 人物・人生
- 聖書箇所
-
[新約聖書] ヘブル人への手紙 11章16節
- 放送日
- 2021.06.05
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか。原田憲夫です。私はこの一週間、旅人に焦点を合わせた話をさせていただきました。それで今日は、その締めくくりともいうべき、私たちが目指す旅の終着地、天の故郷についてお話しします。ヘブル人への手紙11章16節をお読みします。
「しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。」
私は、牧師としてご用をさせていただいている教会に、奥様の深刻な病気、入院、手術を機に、毎週欠かさず日曜日の礼拝時間に来られるようになった方がいます。ゆたかさんっていいます。長年、大手の新聞記者、論説委員として、その後は、大学の教授として歩まれてこられた方です。ゆたかさんは自分の礼拝出席こそが、クリスチャンである、奥様への最高のプレゼントだと確信されたのでした。ところがその後、ゆたかさん自身、末期癌と診断され、その時の心境をこう記されます。
「病気知らずで来た私には、鉄槌で頭を打ち砕かれたような衝撃だった。しかし、これらのことを通して私は、神の御前に一人の罪人であることに気づき始めたのである。私は生まれて初めて、自らの死と正面から向き合った。何事にも、自力を信じてきた私の胸中に、何かにすがりたい、助けを求めたいという気持ちが急速に芽生えていった。日曜ごとに教会に足を運び、聖書に馴染むにつれて、私の心を強くとらえたのは、永遠のいのちを持つというくだりである。キリスト教にはほとんど無関心であり、批判的でさえあったこの私に、永遠のいのちを与えてくださるために、キリストは、私の身代わりとなって十字架に死なれたのだ。」
ゆたかさんは、イエス・キリストを救い主と信じ、2004年、クリスマスに洗礼を受けました。ゆたかさんを見送って安心された奥様は、2013年に天の故郷へ旅立ちました。救い主イエス・キリストを信じる人、すべてに与えられる永遠のいのち。この永遠のいのちこそ、私たちの旅の目指す終着の地、神のおられる天の都への入国保証なのです。さあ旅人よ!天の故郷を目指そうではありませんか。
「しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。」
私は、牧師としてご用をさせていただいている教会に、奥様の深刻な病気、入院、手術を機に、毎週欠かさず日曜日の礼拝時間に来られるようになった方がいます。ゆたかさんっていいます。長年、大手の新聞記者、論説委員として、その後は、大学の教授として歩まれてこられた方です。ゆたかさんは自分の礼拝出席こそが、クリスチャンである、奥様への最高のプレゼントだと確信されたのでした。ところがその後、ゆたかさん自身、末期癌と診断され、その時の心境をこう記されます。
「病気知らずで来た私には、鉄槌で頭を打ち砕かれたような衝撃だった。しかし、これらのことを通して私は、神の御前に一人の罪人であることに気づき始めたのである。私は生まれて初めて、自らの死と正面から向き合った。何事にも、自力を信じてきた私の胸中に、何かにすがりたい、助けを求めたいという気持ちが急速に芽生えていった。日曜ごとに教会に足を運び、聖書に馴染むにつれて、私の心を強くとらえたのは、永遠のいのちを持つというくだりである。キリスト教にはほとんど無関心であり、批判的でさえあったこの私に、永遠のいのちを与えてくださるために、キリストは、私の身代わりとなって十字架に死なれたのだ。」
ゆたかさんは、イエス・キリストを救い主と信じ、2004年、クリスマスに洗礼を受けました。ゆたかさんを見送って安心された奥様は、2013年に天の故郷へ旅立ちました。救い主イエス・キリストを信じる人、すべてに与えられる永遠のいのち。この永遠のいのちこそ、私たちの旅の目指す終着の地、神のおられる天の都への入国保証なのです。さあ旅人よ!天の故郷を目指そうではありませんか。
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