パウロの弁明(その一)

出演者
板倉邦雄
制作
PBA 太平洋放送協会
再生時間
5min

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アップロード日
2021.05.12
カテゴリ
人物・人生
聖書箇所
[新約聖書] 使徒の働き 24章
放送日
2021.05.12

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 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか、板倉邦雄です。今日は「パウロの弁明(その一)」という題でお話ししましょう。
 裁判の席においては、必ず被告に対する論告がなされた後、被告の罪状に対する認否や答弁の機会が与えられます。パウロのローマ総督の前での裁判もそのような順序で行われました。使徒の働き24章の続きです。
 弁護人テルティロの論告が終了したので、裁判長であるローマ総督フェリクスは合図をして、パウロに発言を促しました。パウロは答弁を始めます。
 「フェリクス閣下、閣下が、多年にわたり、わが国民の裁判をつかさどっておられることを、よく承知しておりますので、私は喜んで、自分のことを弁明させていただきます。お調べになればわかるはずですが、私が礼拝をしにエルサレムに上ってから、まだ十二日そこそこしかなりません。そして、神殿の境内でも、会堂内でも、あるいは市内でも、私がだれかと論争したり、群集を煽動したりするのを見たものはありません。さらに今、私を訴え出ている事柄について、閣下の前にその証拠をあげることのできるものはいないのです。」
 そしてさらに、パウロの弁明は続きます。
 「ただ、私はこのことを認めます。私は、訴え出ている人たちが異端の教えだと主張している道にしたがって、私たちの先祖が信じる神に仕え、モーセの律法の教えるところ、また預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じて参りました。また、特に私は正しい者も正しくない者も、やがてよみがえるとの希望を、神を仰いでいだいている者です。この希望は、訴え出た人々自身も持っているものなのです。さらに私はまた、神に対してまた、人に対して、自分の良心に責められることのないように常に努めて参りました。」
 パウロが認め、信じている事柄が三つあります。一つは、当時、異端の教えといわれていたイエスの道は、ユダヤ人の先祖が信じ、仕えてきた神の道であることです。第二に、また悪人も善人も死んでよみがえるという死人の復活信仰に対する希望です。そして第三は、神と人に対し、そして自分に対して、良心が責められることのないように、常に努力してきたということでした。

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